「クジラの島の少女」 クジラと、伝説の人。

その土地土地の民族や慣習を描いたものは興味深い。


「クジラの島の少女」では、大昔からの伝統の残るニュージーランド、マオリ族の族長となる者には、現代でも、その資質以前にまず男であることが求められる、という様が描かれている。


当然の如く“古すぎる”という感覚は覚えるが、都市の生活とは全く違う時間の流れる島の民族の長が、伝統を残したいと願うのもまた、わからない気がしないでもない。


祖先パイケアがクジラに乗って海を渡ってきたのが始まり、という美しい伝説の残る島。しかし、その伝説や、海や空の美しさとは裏腹に、どんなに望んでも一族の正統なる末裔とは認めてもらえない、祖先と同じ名を持つ少女の寂しさや孤独感、早く指導者の資質のある者を見つけなければ民族の伝統が途絶えてしまうと焦る族長の悲壮感など、重苦しく、うら寂しい空気が漂っている。美しくも、湿気を含んだかのように薄ぼんやりと悲しげな色をした空は、それらに呼応しているようだ。


「クジラの島の少女」という邦題は少しばかり雰囲気が違うかもしれない。原題どおりの"WHALE RIDER"の方が、よく作品の空気を表している気がする。


少女パイケアが自らの民族の言葉で歌う声のなんと美しいことか。


祖先パイケアの再来のようにクジラの背につかまって海へ入ってゆく少女の姿は痛切だ。もしここで物語を終わらせれば、伝統への固執を悲劇として捉えたことになろうが、生きて戻ったパイケアを描いたということは、伝説の神秘と奇跡、未来への展望を描いているのだろうと思える。






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