「東風」 言葉と思想が入り乱れる。

LE VENT D'EST
1969フランス=イタリア
監督・脚本:ジガ・ヴェルトフ集団(J=L・ゴダール
出演:ジャン・マリア・ヴォロンテ
    アンヌ・ヴィアゼムスキー



配給期限切れのため国内最終上映というので、大阪からわざわざ京都の映画館へ見に行った「東風」。


最初から最後まで、あっけにとられるほどの言葉の洪水。


草むらでうたた寝する若い男女が映し出される映像とはかけ離れた政治的な話をたたみかける唐突な冒頭に始まり、ラストまで息つくひまもない。


赤い塗料を血ノリのように服にぶちまけたり、その赤い塗料を被ったまま平然とタバコを吸ったり、あるいは死体のように横たわったり。


そして映画は延々と言葉を続けながら、折にふれ挟み込まれる、真っ黒あるいは真っ赤な画面。


淡い色の草むらの中では、象徴的な赤だ。


収拾がつかないほどに言葉があふれかえり、そのあふれる言葉ですら語りつくせないとでもいうように映画は語り続ける。

人物も、もはや“役柄”を演じているというよりただそこにいて、記号であることを役割として存在しているかのようだ。


30年以上まえのゴダール作品だが、膨大な言葉は昨今のゴダールにも共通する。映像から感じるのは“若さ”と“鋭敏さ”。


『2つの戦線を同時に戦う』『風には西風と東風があるが 今間違いなく東から吹いている』
そう言って、終わるのも唐突だ。



 



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