「リバティーン」 気高く猥雑な放蕩詩人。

THE LIBERTINE
2005イギリス
監督:ローレンス・ダンモア
出演:ジョニー・デップ サマンサ・モートン ロザムンド・パイク



17世紀に実在した詩人であり劇作家でもあるロチェスター伯爵ことジョン・ウィルモットの、その破滅的な人生をジョニー・デップが演じた「リバティーン」。


“生前のマーロン・ブランドとこの映画の話をし、結局彼はこの映画を見ることはできなかったけれど、きっと気に入ったに違いない”とジョニー・デップ自身が語ったといい、マーロン・ブランドに捧げられている。


この作品のジョニー・デップは、ディズニーの海賊役で、相変らずの存在感だったとはいえ妙に丸くなったような印象を与えた時とは一転、「デッドマン」や「ブレイブ」など過去に出演したクセのある映画を思い起こさせる。


これが現代なら、かつてゲイリー・オールドマンが「シド・アンド・ナンシー」で演じたシド・ヴィシャスなどが重なるところか。
酒に溺れ、無謀な行動で“放蕩詩人”と呼ばれたジョン・ウィルモットをジョニー・デップが演じると、時にはどうしようもない男として見せ、また翻っては、才能を理解されない孤高の人物として見せる。


ジョンが入れあげる女優を演じるのが「ギター弾きの恋」や「マイノリティ・リポート」のサマンサ・モートン、妻を演じるのは「007/ダイ・アナザー・デイ」や「プライドと偏見」のロザムンド・パイク


舞台を見たのがきっかけで、1対1の演技指導に時間を割くほどその女優に情熱を傾けながらも、やがてすれ違ってゆく、ジョンと女優の関係。それに反して、妻とは“誘拐まがい”の結婚をしながらも、ジョンの放蕩がもとですっかり無味乾燥な家庭へとなり果てていたものが、“ある事件”後逃亡中に病を発症、間近に迫った死を感じ、体の自由も失ってから、ようやく妻のもとに帰る。


この2人の女性とのそれぞれの関係の対比が、ジョンの人生の光と闇、快楽と苦悩、そういった相反するふたつのものを浮かび上がらせる。


ジョンが病に臥せってからのシーンは、追いつめられた状況に特殊メイクも手伝い、まさに壮絶だ。


強引に妻を連れ去った結婚当初の話を妻の口から聞くことが好きで、なおかつ、何度も同じ話をさせているということが、冒頭近くの馬車の中のシーンでの “またあの話をしてくれ”という台詞によって示されている。


病癒えることなく、死の床についてなお、最期の瞬間にまで “あの話をもう一度聞きたい”とジョンが妻に求めるシーンは、壊れていた2人の関係の中でも繰り返されたこのたったひとつのやりとりが、2人をかろうじて繋いでいたことを示す。美しく、それ以上にもの悲しさを残すシーンだ。


映画が終わる時、印象的な冒頭と同じく、再びジョンが独白する。
冒頭では、闇の中で灯したろうそくの火を蒼白な顔の前で揺らしながら『私を好きにならないでくれ』と語り、さいごには『これでも私のことを好きになるか?』と問いかけながら、人生を閉じた最期の瞬間を反復するかのごとく、闇に消える。


闇の中の独白シーンは、放蕩のかぎりを尽くしながら、なにものかを求め続けた、あるいは失い続けたジョンの孤独を、そのまま映像化したかのような象徴的なシーンだ。


闇の中に沈む姿がジョン・ウィルモットの人生そのものと重なり合うかのように、この映画を象徴する。






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