映画日記/記録

“Oh Captain, my Captain!” - 「いまを生きる」( Dead Poets Society / 1989 アメリカ / 監督:ピーター・ウィアー )

「ダークナイト」 かつてないヒーロー映画

THE DARK KNIGHT
2008 アメリカ
監督:クリストファー・ノーラン
出演:クリスチャン・ベール
    ヒース・レジャー
    マイケル・ケイン
    ゲイリー・オールドマン  ほか



バットマン ビギンズ」の続編、「ダークナイト」が公開された。


バットスーツにバットモービル、現実にはあり得ない道具の数々、信じられないほどの資産家の主人公。それらはたしかに、コミックが原作であるヒーロー映画そのものだ。


しかし、犯罪率の高い街から少しでも犯罪を排除しようとし、金や復讐が目的ではない、狂気をはらんだ特異な犯人を追い詰めようと必死になる人々を描くシーンは、単なるヒーロー映画や娯楽大作を超えて、重厚な犯罪映画を思わせる味わいだ。


かつて、前作「バットマン ビギンズ」の監督がクリストファー・ノーラン、主演がクリスチャン・ベールに決まったと発表された時、“ヒーロー映画” の監督・主演としては思いもよらないものだった。


だからこそ、ヒーロー映画というものの既存のイメージにとらわれない、これまでの数々のヒーロー映画とは違ったものになるのでは、と期待し、それは「バットマン ビギンズ」でもある程度は実現されたものと認識するが、この「ダークナイト」で、それはまさに達成されたと思える。



市民の乗るフェリーと、刑務所から移送される囚人の乗るフェリーそれぞれに爆弾を仕掛けたジョーカーが、互いの船の起爆装置を互いに持たせ、“時間がきたらスイッチを押せ、一瞬でも早く押せば助かるが、迷えば死ぬ” と脅すシーンがある。


生き残るためには向こうのフェリーを爆破するしかない、犯罪者の乗るフェリーを犠牲にするのはやむを得ない、彼らは自業自得だ、と論争するが、結局、どちらのフェリーの人々もスイッチを押さない。それによって、自分たちが死ぬかもしれないと思っても。


このシーンが、この映画の白眉であると思っている。なぜなら、現在の世界の状況や人間というものを描こうとするなら、どちらかがスイッチを押すという、どうしようもなく残酷でやりきれないものになるのではないかと思ったからだ。それを、このように自分たちが犠牲になるかもしれないと分かっていながらスイッチを押さないという、ある種の美談のように描くのは、見よう取りようによっては、きれいごとにも、青くさくも映るかもしれない。そうでありながら なお、こうして人々がスイッチを押さない決断をする姿を描いたこと、それを、どれほど多くの人が見るであろう、このような大作映画で描いたこと。そこに意味があるし、監督の意図するところが込められていると思える。だからこそ このシーンが、単なる “人間の良心を描いたシーン” ということではなく、この映画の中の白眉と言えるほどに すぐれて素晴しいシーンであると思うのだ。



そして、ジョーカー役ヒース・レジャー。今年1月に28歳で急逝したヒースのジョーカーは、かつてジャック・ニコルソンが演じたジョーカーの二番煎じでもコピーでもなく、完全にヒースだけのジョーカーになっていた。メイクのせいではなく、ヒースの演技で、どの映画のヒースとも違う、まったくの別人になっていた。


監督のインタビューで読んだが、ジョーカーがわざとレイチェルの名前を忘れたふりをし、アーロン・エッカート演じるハーヴィー・デントが苛立って “レイチェル!” と叫ぶシーンは、役をすっかり自分のものにしていたヒースのアドリブだったという。


人を殺しながら自分をも殺しているような、あまりにも痛々しいジョーカー。ヒースがもしまだ生きていても、自分は同じ見方をしただろうかと、確かめようもないことが ふと脳裏をよぎる。かつて見たことのないヒースを見て、だからこそ、この若い才能が失われたことが本当に悲しい。



クリストファー・ノーランが、それまでの作風とは相容れないように思える “ヒーロー映画” を監督する、ということに期待してきた。そして監督は、映画ファンのその期待に堂々とこたえてくれた。


シリーズ中、初めてタイトルに “バットマン” と冠せず制作された「ダークナイト」。これまでに見たアメリカンコミックが原作のヒーロー映画の中で、もっとも素晴しいものだった。







08.8.9