一時的に。

ふだんはまったくそんなことはないのだが、映画を見ている間、ガラにもなく、いつもより妙に心が広かったことがある。


「テラビシアにかける橋」を見にいった時のことだった。わりと早めに映画館へ入って座って待ち、しばらくすると、すぐ前の列に小学校低学年くらいの子供2人のいる親子連れが来た。


ふだんよく見にいくタイプの映画に、子供客がいることは、ほとんど、9割ない。シネコンで、別のスクリーンでやっている戦隊ものやアニメを小さい子が見に来ていることはあるが、同じ映画を見ることはまずない。「スター・ウォーズ」なんかでたまに見かけた記憶があるくらいだ。だから、すぐ前の列に子供が座っていることにどうも慣れず、予告編すら始まらないうちからごそごそしているので、上映中もこれだといやかも、と席を移った(自由席)。


で。「テラビシアにかける橋」は、思っていた以上にいい作品だった。児童文学が原作で、だからこそその小学生らも見に来たのだろうが、ただ子供向けというだけにはとどまらない、繊細な映画だった。その小学生らも、上映中はごく静かに映画を見ている。


小学生でも飽きずにずっと見ていられる作品だったのだろう、というのと同時に、なんだか、子供イコール騒ぐ、落ち着きがない、と思ったことが悪いような気がしてくる。


映画の影響だ。ふだんこんなことは思わない。それどころか、ラスト近くには “この映画を見たことは、あの小学生らにとってもよかったに違いない” くらいの気すらしてくる。映画ってすごい。ふだんこんなこと全然思わないのにこの影響力。


もちろん、こんなこと思ってたのは見てる間だけだ。見終わるとすぐにいつも通りのせまい心に戻るのだが。







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