映画日記/記録

“Oh Captain, my Captain!” - 「いまを生きる」( Dead Poets Society / 1989 アメリカ / 監督:ピーター・ウィアー )

「ダークナイト」 再び。

THE DARK KNIGHT



もう一度見ておこうと、再び足を運んだ「ダークナイト」。やっぱり、スクリーンでヒースを見ておきたかった。


バットマンは、ジョーカーをバットポッドで轢く直前によけ、建物からジョーカーを落とすこともできずすんでのところで宙づり。結局、バットマンはジョーカーを殺せず、ジョーカーは “もっとも高潔な” ハーヴィー・デントを悪(=復讐に燃えての殺人)へと突き落とす。


バットマンは、ヒーローになることよりも、真に重要なことの方を選んだ(=街の浄化のためなら、ハーヴィーの罪を被って追われる身にすらなる)。人からは理解されない、今はまだその時ではないと、“闇の騎士” としての道を選ぶ。


バットマンとジョーカーは、ある意味、“完全に” と言っていいほど対照的だ。鏡で映した真逆の姿、1枚のコイン(劇中でも印象深いモチーフ)の裏表みたいに。


苦悩の騎士の真裏に値する人物像を、これ以上ないほど強烈に、独創的に演じきったヒース。それによって、「ダークナイト」を数多のヒーローものから完全に隔絶した、異種の映画にしてしまったほどに思える。


だからこそ、エンドロールの HEATH LEDGER の文字を見てすら悲しかった。悲しみが薄れるどころか、ヒースの演技を目の当たりにするにつけ、悲しみがより増してゆく。素晴しい演技を見れば見るほど、なおのこと、彼の死が惜しまれてならないのだ。


演技という点では、マイケル・ケインモーガン・フリーマンらベテラン勢の重厚さはいつも通りだ。バットマンのこの新シリーズは脇役・悪役も良く、1作目はリーアム・ニーソントム・ウィルキンソン、ライナス・ローチ、キリアン・マーフィ(今作冒頭も)、渡辺謙(妙な格好だったが)ら。今作でも、ヒース・レジャーはじめアーロン・エッカートマギー・ギレンホールと渋い。冒頭の銀行強盗シーンでは、ふつうなら考えられない、強盗を銃撃する銀行員(“組織の銀行”の人だからだが)に、ただここのシーンのみのためにウィリアム・フィクナーと、これも渋い人選。


そして、何年か前ならこのタイプの映画への出演は考えられなかったゲイリー・オールドマンだ。今作では、さらに出演シーンが増えた。以前は悪役ばかりだったものの、ここ数年、ハリー・ポッターやこのシリーズではそのイメージを払拭して、悪役でない役を演じている。


悪役やただならぬ狂気を秘めた人物を演じた時は、それこそ一触即発の危うさや、突き刺さるような鋭さを体現し、台詞だけでは表せない激情や脆さまでもスクリーンにやきつけた。そんな演技もこのゴードン役ではすっかりナリをひそめ、すべてが解決する訳じゃないとわかっていながらも犯罪と対峙する、勇気ある常識人に。怒りも正義感が原動力という人物像だ。


これまでの悪役での演技が、いかに高い技術とすぐれた解釈で なされたものだったかが、皮肉にも、この “いい人”役によって改めてわかる。


ただ、“よき市民”“常識人”を演じていると、いいお父さんみたいになってしまって、今までのような、悪徳の妖しい魅力とでもいうべきものが感じられないのは残念…、というのは贅沢か。悪役ばかりだった頃はほかの役も見たいと言っていたのに、いざそうなると、こんどは悪役をまた見たい、と思ってしまう。






08.9.24