「ベルサイユの子」 俳優ギヨーム・ドパルデューを思う

VERSAILLES
2008 フランス
監督・脚本:ピエール・ショレール
出演:ギヨーム・ドパルデュー
  マックス・ベセット・ド・マルグレーヴ
ほか


昨年10月、37歳という若さで急逝したギヨーム・ドパルデューの、残された出演作のうちの1本、「ベルサイユの子」。


亡くなったと知った時の驚きとなんとも言えない気持を、今ふたたび思い出す。もう少し何年か前の作品を見た時より、外見は、父であるジェラール・ドパルデューにより似てきていたような印象を受ける。演技や俳優としてのタイプが似ているというのではない、あくまでも外見についてだ。ギヨーム自身が纏う雰囲気には、押しが強く力に満ちた父ジェラールとは違う、繊細さを感じる。やさしげな、きれいな眼をしていた。


ギヨーム演じる主人公が、ベルサイユ宮殿の裏手の森で、会ったばかりの4、5歳の少年エンゾの面倒をみる成り行きとなり、はじめは戸惑っていたものの、いつの間にかまるで本当の親子のようになって、エンゾによりそって眠るようにまでなるその姿からは、慈しみすら感じさせる。


病に伏せるシーンでは、ギヨームの直接の死因が肺炎であったと聞いたことを思い出して、咳き込む演技も、体を横たえた姿さえもあまりに痛々しい。


足を見ると、あの歩き方は、役柄の設定上のものではなく、義足であるためだろう。事故による負傷と、その後の感染症の影響で、彼は義足だった。


偶然なのか…、世を捨てた生活を送る主人公の、父との長年の確執も描かれる本作。どこか実生活を髣髴とさせ、気がつくと、役にギヨーム自身を投影して見ていた。


もちろん、すべてを知る訳でもなければ、当然、実態を把握している訳でもないが、父ジェラールとの関係における葛藤などがあったと聞くにつけ、また、思わぬ出来事が人生に訪れていると聞くにつけ、いち映画ファンでありながら、ギヨームのことを、勝手に、まるで何かしら、ほんのカケラほどでも、どこか理解できる部分があるかのように見ていたのだ。だから、ギヨームが亡くなったと知った時、ただ 『いつも映画で見ている俳優が亡くなって寂しい』 というだけの気持ではなかった。そんな一言ではかたづけられないやるせなさと、悲しみを覚えた。


本当なら、もっと恵まれた俳優人生を送れた人だったはずだ。もっと認められて、もっとたくさん、よい作品を残せた人だったはずだ。にも関わらず、抗いがたい運命の波が人生に訪れたような、そのような人ではなかったか。


だからこそ、ギヨームがこれほど若くして亡くなったことを思う時、悲しくてしかたがない。



彼はこの映画で、名もない市民の過酷な現状、ひとりの人間の感情の変化、苦しみ、愛情を演じてみせた。そして、観光客の思うパリ、観光客の思うベルサイユではなく、確実にある、『現実』 の姿。どこでも同じことだ、観光都市だろうと、パリだろうと、宮殿だろうと。


美しいだけの場所などない。



映画はこうして、もういない人の姿も残す。そしてそれは、なんと寂しさを呼び起こすものだろう。


見ているあいだ中、情けないほど涙が出た。








09.6.1