映画監督の言葉

クシシュトフ・キェシロフスキの言葉

 

ポーランドのクシシュトフ・キェシロフスキ監督(1941-1996)の没後10年に合わせて制作されたドキュメンタリー、「スティル・アライヴ」(2005)。この中で、監督が語っていたという言葉が出てくる。

 

 “欲しいものは『平穏』。手に入らないものが、いちばん欲しいものだ”

 

この言葉を、ドキュメンタリーを見た当時の自分は、表面的にしか受け取っていなかった。平穏。手に入らないものが、いちばん欲しいもの。たしかに、日常会話でも使うような、平易な言葉だ。しかし、監督がそう言っていたということを知ってから何年も経った今になって、この言葉を、繰り返し思い出す。

 

平穏とは何か。生活に困らず、明日の心配なく暮らせることか。それもあるだろう。大きな出来事もなく、毎日をつつがなく過ごせることか。それもあるだろう。しかし、ただそれだけではない。平穏な心持ちになりたいのだ。焦燥感や不安に苛まれることなく、自らの感情によって煩悶することなく、波立たない心持ちでいたいのだ。そうでなければ、物質的な充足などなんの意味があろうか。そしてこれは、切実な希求である。

 

かつて、このドキュメンタリーを見た頃にもそう書いたが、キェシロフスキはまるで、あれほどの映画をつくったがゆえ、映画によって、命をすり減らしたかのように思えた。傑出した名作をつくりあげ、名監督と呼ばれたからと言って、ただ楽しいだけの人生であろうはずもない。求めるものがすべて手に入るわけではない。常に平穏な心持ちでいられたわけではないのだ。

 

いちばん欲しいもの、もっとも求めているものは、いつも逃げ去る。

 

 

ジャン=リュック・ゴダールの言葉

 

 ヌーヴェルヴァーグの顔のような存在であったふたりの監督、ジャン=リュック・ゴダール(1930- )とフランソワ・トリュフォー(1932-1984)。1950年代から、さまざまな形で協力し合いながらともに映画を作ったふたりは、1968年、第21回カンヌ国際映画祭会場にほかの映画人たちと乗り込んで映画祭を中止に追い込んだ五月革命ののち、映画に対する考え方の相違から、袂を分かつ。ゴダールは政治に傾倒した。トリュフォーは映画への愛を貫いた。

 

1984年にトリュフォーが世を去った時、フランスのみならず世界各国の映画人が列席したその葬儀にも、ゴダールは姿を見せなかったという。しかし、没後4年経った1988年に出版されたトリュフォーの書簡集に、ゴダールは、かつてトリュフォーから受け取った手紙を提供したという。すでにふたりの相違が埋めがたいものとなったあとの内容だったようであるが、書簡集出版に合わせて書き下ろした序文を、ゴダールはこう締めくくったという。

 

  “フランソワは死んだかもしれない。私は生きているかもしれない。だが、どんな違いがあるというのだろう?”

 

 その序文の文脈を知らずには、真意を測りかねる言葉である。共同作業から決別へと至った経緯のあるふたりである。この言葉を書いたゴダールに、どのような思いが去来していたかなど、外から容易に知ることのできるものではない。

 

それでも、この言葉を思い出すたび、何とも言えない気分に駆られる。ゴダールからトリュフォーへ向けての感情や感慨という、自分には測り知れないものとは別のところで、である。ふたりの決別を思うからこそそんな気分になる、というのももちろんあるだろう。しかし、この言葉に何とも言えない気分になるのは、やはり、残された者が、二度と戻らない人物を思って発した言葉だからであろう。だからこそ突き刺さる。だからこそ忘れ難い。

 

 

 

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