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映画日記/記録

“Oh Captain, my Captain!” - 「いまを生きる」( Dead Poets Society / 1989 アメリカ / 監督:ピーター・ウィアー )

「暗殺の森」 構図の美

特集上映〈TSUTAYA発掘良品映画祭〉の1本

Il conformista

1970 イタリア=フランス=西ドイツ

原作:アルベルト・モラヴィア 『孤独な青年』

監督:ベルナルド・ベルトルッチ

出演:ジャン=ルイ・トランティニャン

   ステファニア・サンドレッリ

   ドミニク・サンダ

 

整然と、等間隔に並んだいくつもの窓から差しこむ外光、そこを歩くたび、交互に、光が差し、影が落ちる。あるいは、等間隔に並んだ柱。また あるいは、広大な空間の中に在るもの。また あるいは、人物の その姿の、計算し尽くされた捉え方。

 

空間、陰影、ものの配置、人物の動き。画面の中に在るものすべてが、美しく、とにかく美しく映るよう、ひたすらに美しく捉えるための構図。もはや、この映像美こそが、この作品の主役であるかのようにすら思える。

 

 

 

 

「暗殺の森」を見たのは、今回が二度目である。一度目に見た際には、もちろん、美しいと思いはしたが、作品そのものには、正直、ピンとこない部分もあった。しかし、二度目の今回は見方に変化があり、その映像美も、一度目以上に強く感じられた。

 

 

“構図の美” とは また別の話であるが。

 

主演はジャン=ルイ・トランティニャン。43年前の作品だ。ジャン=ルイ・トランティニャンといえば、今年2月にアカデミー外国語映画賞を受賞した、ミヒャエル・ハネケ監督の「愛、アムール」(2012)に主演している。若き日の出演作では、「男と女」(1966)などがよく知られる。

 

「暗殺の森」を一度目に見た頃(比較的最近であるが)、主演がジャン=ルイ・トランティニャンであることは、さほど意識せずに見ていた。その時、「男と女」は もう見ていたかもしれないが、「男と女」を思い返してみても、アヌーク・エーメの顔はすぐに思い浮かぶが、トランティニャンがなかなか思い出せない、という程度の認識だった。

 

クシシュトフ・キェシロフスキ監督の〈トリコロール三部作〉における「トリコロール  赤の愛」(1994)、あの退官判事を演じているのがトランティニャンであるが、最初に見たのはずいぶん前で、その当時、トランティニャンのことはやはりよく知らなかった。しかし一昨年、「トリコロール 赤の愛」をあらためて見直す機会があった。

 

そして先月、あの「愛、アムール」を見た。自分にとってはこれが、トランティニャンのもっとも強烈な記憶である。いちばん最近見たもの、いちばん新しい出演作だからというのではなく、作品としての強烈さにおいて、だ。

 

それで、「トリコロール 赤の愛」のことも思い出すわけだが、これとて、20年近く前の作品とはいえ、「暗殺の森」の頃よりは、どちらかといえば「愛、アムール」でのトランティニャンに近いため、つまり最近のトランティニャンならわかるが、若い頃のトランティニャンのイメージが浮かばない。よって、「男と女」での顔も「暗殺の森」での顔も よく思い出せない、そんな感じで今回二度目の「暗殺の森」を見たのだった。

 

だから、冒頭で、トランティニャンの顔を よくよく確かめようとするのだが、なにぶん43年前の作品だ。現在のトランティニャンとなかなかイメージがつながらない。しかし、まじまじと顔を見続けていると、目だ、目が変わっていない、と思い、そこでイメージがつながった。

 

「愛、アムール」での目と、「暗殺の森」での目。名優が、何十年と映画の中に刻み続けてきた姿だ、と、それぞれの映画、ここへ至るまでの時間を思う。43年は決して短くはない(映画出演自体は「暗殺の森」以前からだから、厳密にはそれ以上である)。まさに映画の歴史の一部だ。

 

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初めてその映画を見た時には曖昧にしか捉えられなかったのに、その後様々な映画を見、それから再びその映画を見ると、違う視点で見ることによって以前とは別の発見があったり、曖昧だった輪郭がはっきりしてきたり、ということはよくある。

 

「暗殺の森」はベルナルド・ベルトルッチ監督の初期作品であるが、近々公開される久しぶりの新作「孤独な天使たち」は、ポスター等で “監督生活50周年記念” と銘打たれている。これまでに見たふたりの作品と、二度目の「暗殺の森」とで、名優と名監督が、映画の世界で刻んだ時間を、垣間見たかのようだ。

 

 

2013/4/24