「マルセルの夏」「マルセルのお城」 夏休みが終わるとき。

フランスの作家マルセル・パニョルの少年時代を描いた回想記が原作の映画「マルセルの夏」と、その続編「マルセルのお城」。


1900年代初頭、教師の父が勤める学校に通うマルセルが、家族らとともに南仏プロヴァンスで過ごす夏の様子が描かれる。


自然あふれるプロヴァンスは美しく、地元の少年・リリとも友達になったマルセルは、街とは違うプロヴァンスの田舎の暮らしが目新しく、嬉しくてしょうがない。学校へ戻っても夏休みのことばかり考えるほど。


真面目でやさしい教師の父や、病弱な母、弟らや周りの人を、マルセルの目を通して見る。にぎやかなおじさんやその妻、友達。めまぐるしく、生き生きとしている。



プロヴァンスへ行った最初の夏は、それこそ楽しいことばかり、やがて週末ごとに別荘へ行くようになると、他人の敷地内となるお城の庭を通って近道するようになり、大きな犬がいて、人に見つかったりしないかと心配し、体の弱い母は通るたびいつも気を遣って、そのあたりから、なにかはっきりしない不安がよぎる。何かを予感させる。


マルセルの夏」では、少年マルセルはそれこそ無邪気に、屈託なく夏休みを楽しんで、自分の周りのもの何にでも興味を持ち、何にも深い不安など感じない。それが「マルセルのお城」では、プロヴァンスで知り合った女の子とは、男同士の友人であるリリとのようにはうまく関係を築けずに苦い思いをし、やがていつの頃からかプロヴァンスへ家族で出掛けることもなくなり、少年時代が遠くなっていくような、まさに少年期の終りが描かれる。


プロヴァンスへ行かなくなったことと、リリの兵役がその象徴のように思われる。
“楽しい夏休み”=少年期は終りを告げ、それはどこか漠然とした終りで、戦争で友人を失うことは、決定的な喪失を物語る。



まさにきらびやかなプロヴァンスの陽光のような「マルセルの夏」と、年を経て、少年時代を思いだすことも少なくなったマルセルが再びプロヴァンスの地を訪れ、深く沈んでいた記憶や、失ったもの、失った人を鮮明に思いだすラストシーンが語られる「マルセルのお城」は、どちらも美しい南仏の自然と光りに満ちた夏の映像で描かれながら、はっきりとした違いを持つ。少年期のまっただ中と、それとの決別と。


少年は変わる。すべて移りかわる。どんなことでも、終る時はもの悲しい。少年期も夏休みも。




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