「プロフェシー」「ドニー・ダーコ」 日常と非日常の背中合せ。

『The Mothman Prophecies』=“蛾男の予言”が原題の「プロフェシー」。蛾男とは、アメリカでよく知られた都市伝説のようなものだという。


リチャード・ギア演じる主人公の妻が交通事故に遭う直前、人間に羽が生えたような形の、奇妙な影を目撃する。妻を亡くしショックを受けた主人公は、夜通し車を走らせるが、ひと晩ではとうてい着けないはずの、ありえない程遠い土地にまでいつの間にか来ていて、自分でも訳がわからず混乱する。


蛾男がそれらの原因であるという風には描かれないし、そもそもこの映画における蛾男が何なのか、超自然的現象を言ったものか、それとも幻覚か、あるいは心霊現象を指しているのかということも描かれない。ただ主人公の身に、それに気づく・気づかないに関わらず、説明のつかない出来事や奇妙な偶然が続き、何かを暗示するような言葉や数字、出来事に遭遇する。なんとか解明しようと奔走するが、謎は謎のまま、真実には辿り着けず、ラスト、想像を絶する大事故に巻き込まれながらなんとか助かった時、やはりそこにも暗示が現れている。


監督は、アメリカでは物議を醸したというサスペンス「隣人は静かに笑う」のマーク・ペリントンで、非日常的でありながら、単純に心霊現象を描いたホラーというのとも違うこの「プロフェシー」では、いつもの日常の背後に潜む不可解な“何か”に、ほんの一歩、紙一重の危うさで行き来するような、日常と異空間の境目で揺れるかのような不安感・違和感を描く。


モンスターや殺人鬼が出てくるわけでもないのに、ふと背すじの寒くなるような、見終わるといつもの帰り道がどこか異質に見えてくるかのような不思議な余韻を残すこの作品は、その時の感覚とともに思いだされて、印象深い。



ジェイク・ギレンホール主演の「ドニー・ダーコ」は、日常に混ざりこむ異空間をさらに直接的な方法で描いている。


夢遊病のように路上で目を醒ます主人公。何を考えているのかいまいち掴めないタイプだと周囲からも思われている。すべてを解っているのか、あるいはすべてのものから遊離しているのか。そう思う程に浮世離れしている。


その場に居る理由のないはずの人物がそこに居る。しかししばらくして、なぜその人物がそこに居たのか、すべてがつながる。ラスト、歪んだ時空がねじれてつながったその時に。ありえない現象が起きたその時、稲妻が走るように瞬間的に、観客はすべてを把握することになる。





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