マイケル・ナイマン -音と映像が摩擦を起こす。

このほど公開されたジョニー・デップ主演作「リバティーン」の音楽を担当した、「ピアノ・レッスン」等の映画音楽で知られる作曲家マイケル・ナイマン


初めてマイケル・ナイマンの音楽を聴いたのは「ピアノ・レッスン」だった。


映画以上に耳につくあのピアノの音に惹かれ、これまたいやに耳に残る、と思っていたパトリス・ルコント監督の「髪結いの亭主」や「仕立て屋の恋」の音楽もマイケル・ナイマンだったということをその後知り、それ以降、「ことの終わり」や「めぐりあう大地」などの作品になってくると、名前を見なくても“マイケル・ナイマンだ”と耳が自動的に反応するように。「リバティーン」もそうだった。


映画音楽には、映像以上に主張するような音楽よりも、映画に自然に溶け込むようなものがふさわしいのかもしれない。それが、溶け込むどころか映像との間に摩擦を起こすほどの存在感で画面に充満するマイケル・ナイマンの音楽に、もうすっかり虜になってしまった。


だから、去年だったか一昨年だったか、マイケル・ナイマンのピアノ公演が日本で、しかも地元大阪でもあったというのに行けなかったことは、今でも歯ぎしりしたくなるほど悔やまれる…。


ニコール・キッドマンが作家ヴァージニア・ウルフを演じてアカデミー主演女優賞を受賞した「めぐりあう時間たち」を見たとき、実際に音楽を担当したのはフィリップ・グラスなのだが、『この映画の雰囲気にはマイケル・ナイマンの音楽でも合ったのでは』と思っていた。そうしたら制作当初はマイケル・ナイマンの名前もあがっていた、との記事を偶然読んで、“こういう雰囲気の映画にはマイケル・ナイマンの音楽”、というイメージがかなり出来上がってるんだなぁと、妙に面白かった。






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