クシシュトフ・キェシロフスキ監督作品〈トリコロール三部作〉
配給期限切れ 日本最終上映
※劇場公開当時(1994年頃)の上映で使われていたフィルムにて上映とのこと
「トリコロール 青の愛」
1993 フランス
出演:ジュリエット・ビノシュ/ブノワ・レジャン/フロランス・ペルネル
1993ヴェネツィア映画祭金獅子賞、主演女優賞、撮影賞
「トリコロール 白の愛」
1994 仏=ポーランド
出演:ジュリー・デルピー/ズビグニェフ・ザマホフスキヤ/ヤヌシュ・ガイヨス
1994ベルリン映画祭銀獅子賞(監督賞)
「トリコロール 赤の愛」
1994 仏=ポーランド=スイス
出演:イレーヌ・ジャコブ/ジャン=ルイ・トランティニャン/フレデリック・フェデル
クシシュトフ・キェシロフスキ監督の遺作となる
1994ニューヨーク批評家協会賞外国映画賞
1994ロサンゼルス批評家協会賞外国映画賞
〈青〉
部屋の物も、財産も、楽譜(身代り作曲をにおわせる)も、事故当日の鞄の中身すら処分したのに、青いガラスのモビールは捨てられない。そのどれもが、死んだ家族にまつわるものだ。思い出の切なさ。
この映画だけだったはず、監督の生前に見たのは。この映画の音楽で、ほかのキェシロフスキ作品も思い出す。同じ作曲家なのだろう。
唐突に沸き起こって主人公を苦しめる記憶のように、唐突に音楽が鳴り響く。そしてその音楽は、死んだ夫のかわりに友人が加筆作曲を始めるというストーリーに呼応し、作曲者が同じではないことを表すべく、曲調が微妙に変化する。そこまで計算されている。曲の話をする時や、楽譜を指で示す時、その部分が奏でられるのがとても美しい。
“たとえ私が天使たちの言葉を話しても 愛がなければそれは空しいばかり ただ鳴り響く鐘にすぎない”(合唱部分歌詞)
フィルムの傷も、17年の証だ。のちに見た、数々の作品を思い出す。キェシロフスキスタイルが完成されている。
それぞれが、それぞれ互いの作品と交わる部分が描かれるのが、この三部作の特徴。
裁判所で、夫の、判事を目指している愛人を探して法廷を覗きこみ、守衛に制止されるシーンの裁判は、〈白〉の離婚裁判だった。空きビンを分別して捨てようとしているおばあさんがどの作品にも出てくるが、これも当然、同じ人物を描いている。
〈白〉
妻に捨てられた男カロルと、死にたがる男ミコワイの友情がしみじみさせる。そういえば、〈青〉の夫の友人である作曲家も、主人公を利用する気はなく、ただ愛情をもっているのみ(加筆作曲を名乗り出たのは連絡がほしかっただけ)。キェシロフスキの人物は優しい。人生の辛さを描いていても。
美容師コンテスト優勝の過去があるとはいえ、風采の上がらない男だった主人公が、金を手に入れ事務所を開き事業で成功するのも、すべて愛する元妻のため、というのが、執念なのか愛なのか…
別人の遺体や死亡届、のちの潜伏先を準備してまで自らの死を偽装し、元妻に大金が入るよう遺言状を遺して、カロルの死が不自然だとして元妻に容疑がかかるよう仕向ける。
刑務所の妻を外から見守るカロル。閉じ込めることで手中に?愛への復讐?
〈赤〉
主人公の恋人が電話で、ポーランドで車もパスポートも盗られた、と言っていたのは、〈白〉と関係があるのかと思ってしまう(=偽装用に奪ったのがこれかと)。
主人公は言う、「愛する弟の力になりたい」。恋人は言う、「君がいるだけでいい」。「どういう意味?」「存在するだけでじゅうぶんだ」。
〈赤〉にも、ビンの分別のおばあさんが出てくる(主人公が手伝う)。
盗聴されていた男性(年上の愛人がいる)が、彼女の浮気を知るのは、退官検事の過去と呼応する。主人公とこの男性が同じフェリーに乗るのは、ふたりのこれからの出会いの暗示。退官検事の盗聴の対象であったことも何もかも知らずに、このふたりが出会うこともまた、人生の機微である。
フェリーの転覆。ジュリー、カロルと妻ドミニク、作曲家オリビエ・ブノワ、法律家A・ブルヌール、モデルのバランティーヌ、最初の巡視艇で救助。近くを航行していたヨットの二名も不明(被盗聴法律家の愛人と、その浮気相手)…。
これがニュースとしてテレビで流れる、というシーンで、赤いシートを背景に、毛布を肩にかけられた、救助された直後のバランティーヌの横顔は、色合いまでも、モデルとして街を飾った大型広告の写真の姿そのもの。嵐も、あの広告写真も、出港直後に広告が取りかえられたことも、「私の身に何かが起こりそう」と言ったことも、前触れであり、暗示。人生は暗示に満ちている、と、キェシロフスキは描く。
そして、〈青〉のジュリーと作曲家が一緒に救助されたことはふたりの“その後”を示し、〈白〉のカロル(実業家として乗っていた)とドミニクが一緒だったことも、ふたりの物語の続きを示す。そして〈赤〉の、期せずしてバランティーヌのすぐそばのアパートに住み、判事の盗聴に遭っていた男、その男と知らずに、“同じフェリーで事故に遭い救出されたふたり”として出会ったバランティーヌ… このふたりのそれからは、ふたりの目が合った瞬間、あの瞬間が物語っているのだろう。
ほんの少しのことで、人生が大きく変わる。飛行機事故を描いた、監督のこれ以前の作品「偶然」を思い起こさせる。クシシュトフ・キェシロフスキは、最後まで、人生の機微、人生の巡り合わせの不思議を描いた監督だったのだ。
2011.12.10/12.11