「アウトロー」 “トム・クルーズ” に惑わされるな

Jack Reacher

2012 アメリカ

監督:クリストファー・マッカリー

出演:トム・クルーズ

    ロザムンド・パイク

    リチャード・ジェンキンス

    ロバート・デュヴァル

    ヴェルナー・ヘルツォーク

 

 

 監督が、誰かと思えばクリストファー・マッカリーだった。名脚本として知られる作品、「ユージュアル・サスペクツ 」(1995)の脚本家である。


かつて、監督デビュー作である「誘拐犯」(2000)を見に行きはしたが、今となっては、もはや内容は覚えていない。失礼なもの言いを敢えてするが、当時、脚本家としては優れていても、監督としては並みだ、と思った記憶なら なんとなくある。マッカリーの名を見てその記憶だけがよみがえった、「誘拐犯」の記憶ではなく。

 

今回、トム・クルーズを主演に据え、何者かの陰謀によって起こされた殺人事件、銃撃、カーチェイスと、一見して、いかにも“その手の映画”、つまり、“スター俳優の名で売るありがちなアクション映画”と呼べるだけの条件が揃っている。しかし、必ずしもそうではなかった。

 

極力抑えられた音楽(カーチェイスシーンにさえ盛り上げるための音楽はない)、そして、どこか微妙な “間”。

 

最初は、なんだか微妙な間の取り方だと思っていた。しかしそれが、だんだんと効果的なものに思えてくる。主人公が見つめる先にある対象や、ストーリーの流れが、そこに微妙な間があることによって、より印象づけられるからだ。ふと、あの時、脚本家として優れていてもメガホンをとるのには向かない、と断じた自分の見る目がなかったのか、それとも、実際にあの時はそれほどでもなかったマッカリーが今回実力をうまく発揮したということなのか…などと考える。そして、このような、“有名俳優のアクション映画”であるからこそ、抑えた音楽、微妙な間が、敢えてこの映画を王道からはずす形となり、トム・クルーズという、まさに“王道”の記号とも言える俳優と、好対称をなすこととなったのかも知れない、と思った。


主人公は、思考力・洞察力と機転、戦闘能力に優れた、一切の無駄のない男だが、そんな主人公像に対し、映画そのものの演出には情緒的に感じられる部分があり、その対比も面白かった。ラスト近く、主人公が黒幕の右腕と対決するシーンにのみ雨を降らせ(雨中の決闘とはやはり情緒的に感じる)、その右腕が、一騎討ちに向かう間際、自分が主人公に勝てないことを悟りながら、黒幕に「逃げろ」と言い残すシーンなどだ。

 

感情を表さない主人公が、女性弁護士が捕らわれたとわかった時、相手が要求を言う前に拒絶して電話を切り、即座に自分からかけ直して脅し文句を言うとまた一方的に切り、またかけ直してようやく指定の場所を聞くという、唯一の動揺を表したシーンのまわりくどさもなかなかよかった。



そして、些細な点かもしれないが、よくあるハリウッド・アクションの裏をかいたようなラストも気に入った。黒幕の意図がわかったところで、その後の法的な解決等は、件の女性弁護士にすべて任せると言って立ち去る主人公に、女性弁護士が「これで終わり?」と驚いてきき返すが、それはまさしく、敵を倒しさえすれば後処理を描かずに終わるアクション映画に、観客(=自分)が、いつも言いたくなる言葉である。ただ、作り手側の、予想のつくことを敢えて描くようなまねはしない、というやり方も理解できるし、そもそも娯楽アクションをそれほど追及する気がないゆえ、毎回、思ったその場で完結している感想である。それをそのまま、登場人物に言わせてしまっているのが面白かった。


ちなみに、ヒロインを決して派手なタイプではないロザムンド・パイクが演じていたり、リチャード・ジェンキンスロバート・デュヴァルらベテランの名優など、キャスティングも渋い。なぜか、ドイツのヴェルナー・ヘルツォーク監督が俳優として出演してもいる。そこへ、主演がトムだ。一見、よくあるタイプのハリウッド・アクションだと思わせながら、そこはかとなく王道をはずれ、じつは狙って王道からはずれていたのだと後でわかる、という、観客の先入観を裏切る装置としての、トム・クルーズである。

 

緊迫感あるカーチェイスも秀逸。

 

 

2013/2/1