「愛、アムール」 ミヒャエル・ハネケに、いつも追いつけない

AMOUR

2012 フランス=ドイツ=オーストリア

監督・脚本:ミヒャエル・ハネケ

出演:ジャン=ルイ・トランティニャン

   エマニュエル・リヴァ

   イザベル・ユペール

第65回カンヌ国際映画祭 最高賞〈パルムドール〉受賞

第70回ゴールデン・グローブ賞 最優秀外国語映画賞 受賞

第85回アカデミー賞 外国語映画賞 受賞

第38回セザール賞 5部門(優秀作品・監督・主演男優・主演女優・脚本)受賞

ほか

 

 

ミヒャエル・ハネケ監督の作品を初めて見たのは、「ピアニスト」(2001)である。当時の自分において強烈に感じられる表現が、淡々と展開することに唖然とした。最後まで ついていけないまま 映画が終わり、館内に掲示してあった、“これはメロドラマのパロディーだ” と監督がインタビューで答えたという記事を読んで、どうにか納得した。それが最初である。

 

次は「隠された記憶」(2005)であった。これまで、ハネケ作品に対して唯一、例外的に、好きだと思えたのは、この作品だけである。ハネケ作品はとにかく、好きか嫌いかで語れないのだ。

 

その次が、「ファニーゲーム U.S.A.」(2008)。過去のハネケ作品の、アメリカ版セルフリメイクのサスペンスである。サスペンス自体は比較的見慣れている、はずであった。しかしここでもハネケは、ある意味、こちらの予想の斜め上を行くとも言える演出をしてみせた。

 

昨年見たのが、前作「白いリボン」(2009)である。全編モノクロ、非常に抑制された表現法であるにも関わらず、目を背けたくなるような、人間の醜悪さが滲む。第一次世界大戦直前のドイツの村が舞台であり、その後のドイツの歴史を想起させる作品だ、と言われたとて、やはり自分は、感覚的な理解に達しなかったと感じる。

 

 

そして、今回、「愛、アムール」を見た。

 

公開前に予告編を見た時、ハネケ作品特有の “毒” が、感じ取れなかった。実際に見て、その毒があったか? と言えば、かすかに流れていたであろう。それも、監督のあまりに鋭い観察眼ゆえのものである。もしも、これまで一度もハネケ作品を見たことがなかったとしたら、毒気よりも、監督の観察眼の鋭さをこそ、感じ取るだろう。

 

やはりミヒャエル・ハネケだ、と思う表現は多々ある。たとえば、主人公らの教え子であるピアニストの演奏会のシーン。観客席の聴衆だけを捉え、演奏中のピアニストを一切映さない。また、主人公らの娘が、最初に訪ねてくるシーン。初めは、娘が自身のことを話している。しばらく関係のない話が続いて、やっと主人公ジョルジュが妻の病状を話し始めるが、その間、ジョルジュの姿は、座っている椅子の背もたれのせいでほとんど映らない(しかも、関係のない話から入ってやっと本題に移るという形をあえて取っていると思って聞いていたら、ジョルジュの話す内容は、既に時間が経過していることを示すという、巧みな展開である)。そういう、通常はあまりしないだろう、と思う表現を、どこかで必ずしている。それらが、作品を印象づけるのに効果的なのだ。ほかで見ることのない表現を目にすれば、無意識にでも、何かしらの違和感を感じる。かすかであっても、違和感とは脳裡に残るものである。また、時間が大きく進むポイントが2ヶ所ほどあり、そこ以外は、日々を細かく描いている感じだ。非常に静謐な作品ながら、時間の流れによって緩急をつける展開もまた、巧みである。

 

そして、静けさが映画全体を覆っている。ほかに幾人かが姿を見せることがあろうとも、そこは、夫ジョルジュと妻アンヌの世界、ただそれのみである。だからこそ、そこに凝縮された、台詞で語られることのない感情の動きを読み取るのである。それが、ジョルジュを演じたジャン=ルイ・トランティニャン、アンヌを演じたエマニュエル・リヴァ、このふたりの名演によるところが大きいのは、言うまでもない。

 

この映画は、冒頭で、“ラストシーンを見せる”。ストーリーを辿っていれば、見る者の多くが、形は違えど、自然と予感するであろうラストシーンだ。だからそういう形がとられている。そうでありながら、そこへ向かうとわかっていながら、息を詰めて見守り、凝視するのである。

 

ミヒャエル・ハネケ監督の映画には、見るたびいつも、取り残されるような気分を味わっていた。ストーリーは理解できても、自分の感覚の中での、映画そのものへの理解が追いつかないと感じるからだ。思いもしなかった表現・展開が唐突に提示されるという面でも、たとえ予想したところで、映画があっさりそれを超える、という面でも。好きなのか、嫌いなのか? というと、好きか嫌いかで語ることが難しい。その言葉では かたがつかない。ではこの「愛、アムール」は? 誰しもの身に、実際に起こり得ることを題材としている。人間が逃れることのできない事象を描いている。そういう意味では、ほかのハネケ作品よりも、自分に引き寄せて考えることができたともいえる。しかし、もうわかっていたはずのことなのに、映画最後でのジョルジュの行動に揺さぶられ、その後のジョルジュの姿には、単純に悲しみとは呼べない感情がもたらされる。

 

そして、やはり強烈である。研ぎ澄まされ、静謐でありながら、いや、むしろ それゆえにか、強烈な何かが残る。見終えて、時間が経って、すっかり我に返るまでの間は、頭の中が、この映画によって占められてしまいそうなほどに。

 

 

2013/3/20