「大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院」

〈ドキュメンタリー〉
Die Grosse Stille
2005 仏=スイス=独
監督・脚本・撮影・編集:
フィリップ・グレーニング
サンダンス映画祭2006 審査員特別賞 受賞
ヨーロッパ映画祭2006 ベストドキュメンタリー賞 受賞
ほか
 
グランド・シャルトルーズ修道院とは(解説記載の紹介):
カトリック教会の中でも厳しい戒律で知られるカルトジオ教会の男子修道院である、フランスアルプス山脈のグランド・シャルトルーズ修道院。
毎日を祈りに捧げ、清貧に生き、自給自足、藁のベッドとストーブのある小さな房、唯一の持ち物は小さなブリキの箱。会話は、日曜の昼食後、散歩の時間にだけ許される。これまで内部が明かされたことはなかった。
 
 
ドイツ人監督フィリップ・グレーニングが撮影を申請したのは1984年。その時は、“まだ早い” という返答。“時が来た” と許可が降りたのは、それから16年後だったという。
修道院内に入り、撮影することが許されたのは、監督ひとり。なおかつ、自然光のみによる撮影、礼拝の聖歌のほかは音楽を使わない、ナレーションを入れないという条件のもと、監督が9ヶ月間に渡り、修道士らと寝食を共にして撮影。撮影から完成までに費やしたのは5年。構想から数えれば、21年を経る。
 
ここに、外の世界との繋がりはない。この監督のカメラが入ったことが、おそらく初めてに近いくらいの、“外界からの眼” であろう。
 
最低限の生活音と、祈りの言葉と、賛美歌。 窓から、音もなく差し込む日の光。ストーブの白い蒸気。ひたすら淡々と修道士らの修行の日々を映し、観客はただそれを眺むるのみであるが、決して退屈に感じられることなく、むしろ心地よい。静穏が身に沁む。修道士らにとっては修行であるはずのこの日々が、まさに心の安定を得られる生きようである気がした。なにしろ、この修道院の中には、浮世のしがらみがない。それがじつに羨ましい(この “羨む” という心持ち自体が、修行に向かない人間であることの表れであろうけれど)。
 
殺伐とした人の世で生きるのは、とかく精神を削られるものだ。俗世で生きることのほうが、よほど苦行に思える。だからといって、今や誰もがこの修道士たちの修行と同様の生活を送れるものではないこともまた、同時にわかっているのだが。
 
終盤、雪の斜面でのソリ遊び(中には、日本でいうところのカンジキみたいなものを履いている修道士や、道具を何も使わずに滑り降りる修道士も)の映像に、笑い声なども入っていてなごむ。
 
祈りを捧げる修道士たちを映す時、聖書の言葉が何度も登場する。なにゆえか印象に残るのは、 “主は 私を誘惑し 私は主に身を委ねました” という一節。繰り返されるのだ、“主は 私を誘惑し 私は主に身を委ねました”  と。
 
 
2014/10/15