映画日記/記録

“Oh Captain, my Captain!” - 「いまを生きる」( Dead Poets Society / 1989 アメリカ / 監督:ピーター・ウィアー )

俳優 ロビン・ウィリアムズ

ロビン・ウィリアムズの訃報を知ったのは、8月12日の夕方だった。その死は、8月11日。自殺とみられる、と報道された。あれから1ヶ月が経った。

その時、俄かには信じ難かった。ニュース記事を調べた。いくつもの記事が出てくる。まさか、まさかと思う。しかし、否定しても、どうしようもないことだった。

 数多くの出演作を見てきた。晩年の出演作はしかし、なぜだったのだろう、日本では、劇場公開されないことが増えていった。かつてに比べると、映画館でその演技を見る機会が、ずいぶんと減っていた。それでも、ロビン・ウィリアムズは、自分にとって、特別な俳優であり続けた。それは、映画を見るようになって以来、ずっとそうだ。映画を見るようになってからというもの、今の今までずっと、特別な俳優であり続けた。映画を見るようになる直接的なきっかけとなった作品が2本あるが、そのうちの1本に主演していたのが、ロビン・ウィリアムズだったからだ。

 その映画について、この記録の中で触れたことは、1度もない。語り尽くせないからである。この場だけでは、語り尽くせないからである。その映画は、かつての記憶とともにあり、自分にとってはもはや、ただの映画ではなく、記憶と人生に刻み込まれたものである。こんなことにならなければ、その映画について、ここに書くことはなかっただろうと思う。

 映画を見るようになる直接的なきっかけとなった作品は、2本。もう1本については、今は触れない。そして、ロビン・ウィリアムズが出演していた1本が、「いまを生きる」(DEAD POETS SOCIETY/1989年 アメリカ/監督:ピーター・ウィアー)だ。

舞台は、1959年、全寮制の進学校。規律と伝統を重んじる校風の中、つつがなくエリートコースを歩むはずだったであろう生徒たちに、歩む道はひとつではなく、様々な世界があるのだということを示し、詩を教え、人生を見る新たな目をひらかせる教師ジョン・キーティングを、ロビン・ウィリアムズが演じていた。

この作品を映画館で見たことはない。初めて見た時には、制作後、何年か経っていた。そしてそれは、これ以上ないというタイミングだった。あの時、この作品を見ていなかったら、以後、映画というものを見るようになったかどうかわからない、という気がする。見るようになっていたとしても、これほど映画というものそのものを好きになったかどうかはわからない、という気がする。映画に興味のない人にしてみれば、大袈裟な話かもしれない。しかし、「いまを生きる」は、ある種、自分という人間を変えた映画だとさえ、言えるものだった。

何度となく見た。詩を知り、新しい世界を見ようとする、映画の中の生徒たちと同じように、それまでの自分の中にはなかった、映画というものを見る目を、新たに得た。自分にとって、「いまを生きる」とは、映画の中の生徒たちにとっての教師ジョン・キーティングである、と言い換えてもいいだろう。そのジョン・キーティングを演じていたのが、ロビン・ウィリアムズだったのである。

 死の瞬間、なにを思ったかなど、知る由もない。誰にも、計り知ることは出来ない。なぜ死を選ぶほかなかったのかさえも知り得ず、映画の中のロビン・ウィリアムズの姿しか知らない観客は、ただ悲しむほかない。ただ悲しむしかなく、そして、ほかに道がなかったのなら、ほかにとるべき方法を見出すことすら、もはや出来ない状態であったというのなら。せめて、楽になっていてほしい。その方法が間違っていたとか、こうすべきだったとか、そういうことは、何も言いたくない。せめても、苦痛から解放されて、楽になっていてほしい。いいでも悪いでもなく、ただ、そう願うほかにない。

 「いまを生きる」のラスト、学校を去らなければならなくなったジョン・キーティングを、何人かの生徒たちは、机の上に立ち上がって見送る。それは、かつてキーティングが、“違う視点に立って世界を見ろ” と教える時に、その比喩として、生徒たちの前でして見せた行動だった。その後、ある悲しい出来事もあり、その影響で、すべての生徒が机の上に立ってキーティングを見送ったわけではない。しかし、キーティングとの出会いによって、新しい視点を得た生徒たちは、机の上に立ち上がってキーティングを見送ったのだ。

 私は、映画を見る時、机の上に立ち上がった生徒たちと同じような心持ちで、映画を見たい。

 時間と記憶が積み重なっている。ここでどれだけ、何を書こうとも、なおも語り尽くせないほど、積み重なっている。「いまを生きる」とは、自分にとって、そういう映画である。「いまを生きる」だけではない、数々の出演作を見た。そうでありながら なお、スクリーンでロビン・ウィリアムズを見るたび、その演技を見るたび、いつも無意識に、そのどこかに、“キーティング先生” を見ていたのかもしれない。


2014年9月11日