「いまを生きる」( Dead Poets Society / 1989 アメリカ )
自分にとってもっとも特別といえる映画を、今日ついに、映画館のスクリーンで見た。
かつて、“世の中にはこんな映画もあるのか” と知るきっかけとなった2本の映画と、私の映画鑑賞歴のはじまりとなる2本の映画とがあった。その、はじまりとなった映画のうちの1本、「いまを生きる」(Dead Poets Society / 1989 アメリカ / 監督:ピーター・ウィアー) を、人生の半分以上の月日と重なる映画鑑賞歴の中で今日初めて、映画館のスクリーンで見たのだ。
かつて、ある1本の映画と「いまを生きる」を見て、映画を見る目が開かれた。まさに、映画の虜となった。とはいえ、その時まだまともに映画館へ行ったこともなかった。借りてきた「いまを生きる」を、繰り返し繰り返し見た。奇しくも、もう1本の映画も「いまを生きる」も、中高生の年代の少年を描き、9月の新学期で幕を開ける映画である。初めて見た頃も秋だった。描かれているのが少年であること、全寮制の学校であること、それぞれの作品の舞台が第二次大戦中のフランス/1959年のアメリカであること、それらが自分の境遇とはまったく違うといえども、描かれている少年らの言動や日常、友人関係、人生も考え方も変わるような思いもよらぬ出会い、映画の中で描かれているそういうものに、それまでにないほど心動かされたのだ。その時から、映画にのめり込んだのである。
私の映画鑑賞歴のはじまりである2本、「いまを生きる」と、もう1本については今ここでタイトル等には触れないが、もう1本のほうも、ずいぶんとあとになってから、いちどだけ映画館で見た。監督は既に亡くなっている。そしてその監督の特集上映が組まれ、今から6年ほど前、ようやくスクリーンで見ることが叶った。
そのもう1本の映画をスクリーンで見た時も、そして今日「いまを生きる」を見ていた時も、どちらも “ああ、そういえばこんなシーンもあったな” と改めて思う、ということがないのだ。ああそういえば、などと思わない。覚えている。どのシーンも、刻みつけられている。何年も見ていなくとも、当時見たものは今でも記憶の底にあり、その記憶が立ち上ってくる。何度も見ていた当時が蘇る。映画の中の秋、初めてこの映画を見た年の秋、そして今この9月が重なる。ひとつひとつの台詞を、懐かしく思う。このシーンではこんな表情、ここではこんな表情。それらすべてのことを、懐かしく思う。タッチストーン・ピクチャーズのロゴも、劇中のバグパイプの音色も、自然豊かな秋の風景も、すべてが懐かしい。授業中に生徒たちの声が聞こえてくることに驚き、何事かと教室を見にきたラテン語教師が、新任教師の型破りな授業に面食らいつつ、君がいるとは思わなかったから、と言うと、おります(台詞は “I am.”) と答える新任教師。その言葉を発するタイミングまでもが懐かしい。その新任教師ジョン・キーティングを演じていたのが、2014年に亡くなったロビン・ウィリアムズである。
まさか、ロビン・ウィリアムズが亡くなってからようやく、この映画をスクリーンで見ることになるなんて。まさかそんなことになるなどとは思ってもみなかった、2014年のあの日までは。
今回「いまを生きる」が上映されたのは〈午前十時の映画祭〉の1本としてである。不朽の名作をスクリーンで、ということで始まった〈午前十時の映画祭〉は当初、もっと古い作品中心であった。開始から年数が経って比較的新しいものも上映されるようになってきたが、それでも「いまを生きる」は新しいほうだ。それが今年度のラインナップに入ったのは、やはりロビン・ウィリアムズが亡くなったことが大きいのは明白である (亡くなったのは2014年だが、おそらく昨年度のラインナップはその時既に決まっていて、昨年度中には上映できなかったのではないか)。亡くなったことによって、映画館での上映が実現するとは。なんと皮肉なことだろうか。ようやくスクリーンで見ることができたのに、ロビン・ウィリアムズは映画を遺して去ってしまったあとだ。やりきれない思いに駆られる。バラの蕾は早く摘め、という一節で始まる詩を教えながら、“私たちは死ぬ運命にある、だからいまを生きろ、素晴らしい人生をつかみ取れ” と生徒たちに語るシーンを見ては、ロビン・ウィリアムズの死のことを考えずにはおれない。思いもよらないことだった、こんなふうにスクリーンで見ることになろうとは。
「いまを生きる」は、原作を読んでから映画版を見た作品だ。あの頃、この映画で知ったソローの「森の生活」の文庫本も買った。劇中で生徒たちが着ている紺色のセーターがほしかった。あの当時は知りもしなかったマーロン・ブランド、そのモノマネをするキーティング=ロビン・ウィリアムズが、じつはこんなにも似ていたのだと、あとでブランドの出演作を初めて見た時にわかった。この映画のサントラ盤を探しても見当たらず、独特な授業をするキーティングが授業中にヘンデルのレコードをかける、だからかわりというのも変だが、ヘンデルのCDを買った。
2008年11月、大阪ヨーロッパ映画祭の名誉委員長として映画音楽作曲家モーリス・ジャールが招かれ、かつて音楽を担当した「アラビアのロレンス」の記念上映の際、体調が良くないのをおしてまで舞台挨拶に登壇された。その上映を見に行っていた私は、その場にいた。翌年3月、モーリス・ジャールは亡くなった。大阪ヨーロッパ映画祭では、映画祭開催の季節になると、前年の映画祭の関連写真を展示したりしていた。2009年、前年来日時の写真とともに掲示されていた、亡くなったモーリス・ジャールが映画音楽を手がけた作品群のタイトルを見ていたら、そこに「いまを生きる」も書かれていてとても驚いた。「アラビアのロレンス」も、私の映画鑑賞歴の中では非常に重要な作品である。「いまを生きる」の音楽がとても好きだった、そしてこのどちらの作品もジャールの音楽だったのか、と。昔は今と違って、音楽や撮影が誰だとか、そんなところまでは気にかけていなかったのだ。ただただ映画を見ていた。そして大阪ヨーロッパ映画祭も、資金難のため継続困難となり、2013年の開催を最後に、その後は開催見送りとなっている。再開を望む映画ファンが大勢いることと思うが、その目処は立っていないはずだ。
2014年、この映画の主演俳優であるロビン・ウィリアムズが亡くなった。2年経ってなおやりきれない。今日スクリーンに映し出された「いまを生きる」のロビン・ウィリアムズ - いつも遠慮がちな生徒の言葉を解放し、それが詩となってあふれでる瞬間に、その生徒を見つめるキーティングのなんとも言えない表情。ラストシーン、机の上に立ち上がった生徒たちに見送られるキーティング - ロビン・ウィリアムズ。死ぬまで覚えておきたい。
かつて「いまを生きる」を初めて見た頃とは、あらゆることが変わってしまった。今日「いまを生きる」を見たシネコンは、あの頃はまだなかった。そして “あの名作をフィルムで” と謳っていた〈午前十時の映画祭〉も、今やデジタル上映となった。時代の流れだなどと、言われなくともわかっている。“フィルム上映にこだわるなんて時代に逆行している” “ただの懐古趣味だ” という言葉に至っては、もう聞きたくもない。時代だなどと、言われなくともわかっている。それでも、できることならフィルムで見たかった。フィルムの時代に作られた、フィルムで撮られた映画なのだから。ただ、私にとってのはじまりの映画であるこの「いまを生きる」を、初めて見た瞬間から今に至るまで特別であり続けるこの映画を、人生の半分以上の月日と重なる映画鑑賞歴の中で今日初めて、映画館のスクリーンで見ることが叶ったのだ。だから、2016年9月28日は特別な日だ。
2016/09/28