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映画日記/記録

“Oh Captain, my Captain!” - 「いまを生きる」( Dead Poets Society / 1989 アメリカ / 監督:ピーター・ウィアー )

「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」

The Imitation Game

2014 イギリス=アメリカ

原作:伝記 『Alan Turing: The Enigma』 アンドリュー・ホッジス

監督:モルテン・ティルドゥム

脚本:グレアム・ムーア

出演:ベネディクト・カンバーバッチキーラ・ナイトレイ、マシュー・グッド、マーク・ストロングチャールズ・ダンス ほか

第87回アカデミー賞 脚色賞 受賞

 

 

【文中にて、映画の内容の詳細に触れています】

 

 

第二次世界大戦当時、不可能とまで言われたドイツ軍の暗号エニグマ解読を達成するほどの頭脳を持ちながら、その孤高ゆえに、多くの人間にとっての常識では理解され得ず、自身の意思ではどうしようもない秘密を持たねばならなかったがゆえの孤独、そして最後には自ら命を絶つという、数奇な人生を生きた数学者アラン・チューリングを描く本作。

戦後のシーンもあるものの、アラン・チューリングの人物そのものを描くだけでなく、やはりエニグマ解読が中心にあるので、戦争映画の範疇であるとも言えるが、直接的な戦闘と呼べるシーンはない(一部、当時の記録映像と思われる箇所と、CGによる爆撃シーン、避難する市民の様子等がある)。

気の遠くなるような作業をどれほど続けても なお一向に進まない解読の過程は、一見すると動きの少ない展開であるにも関わらず、アラン・チューリングの際立つ人物像と、ともに解読を進める学者たち 及び 軍・政府関係者らとの関係性の描き方、“最大の敵” である時間との戦いが、見る者を飽きさせない。チューリングの少年期、戦時中、戦後、それぞれの時間軸の行き来も巧みである。

そしてそれらを文字通り引っ張るのが、アラン・チューリングを演じたベネディクト・カンバーバッチの演技である。その はまり役具合は、昨今のカンバーバッチ人気の勢いに乗ったなどというものでは決してなく、見事に本領の発揮された演技だった。

 

ここに描かれた人間関係という点でいえば、同僚たちとの関係性、チューリングがゲイであったことによって生じる苦悩 (当時の英国の法では処罰の対象だった / チューリングがなぜ解読機にあのような名を付けたかということの意味を思うと、胸が痛む) にも見るべき点は多々あるが、もうひとつ印象的だったのは、チューリングと、権謀術数に長けたMI-6のミンギスとの好対照である。

どれほどの天才であっても(むしろそれゆえにか)人の気持ちを汲みとることのできないチューリング。一方、情報をコントロールし、スパイの世界をじかに知るミンギスは、人の心理を読むことにかけてはチューリングに勝る。この2人のやり取りのシーンは、その対照が興味深く、短いシーンながら見応えがあった。

 

なかなか理解を得られなかったチューリングが同僚らと打ち解けるシーンでなごみもするが、エニグマ解読達成直後の悲壮もまた、見終わってなお、あとを引く。

エニグマを解読したことが終戦を2年早めたとはいうが、当然のことながら、解読した途端に戦争が終わるわけではない。解読達成によってつかんだドイツ軍の動きに合わせて先手を打てば、いうまでもなく、解読したことがばれる。ばれれば、即座に暗号システムは変更され、その新しい暗号の解読を試みるうちにも戦争はますます長引き、死者が増える。それを防ぐには、ドイツの思惑通りの攻撃もある程度させておき、エニグマを解読できていないかのように装うこと。つまり、犠牲を最小限にするための犠牲となる人々を、選ばなければならないのだ。なんという矛盾か。なんと恐ろしい選別か。ある地点では、エニグマと無関係なところから得た情報だと思わせつつこちらが先手を打ち、ある地点では向こうに攻撃させる。そこで犠牲となった人々が攻撃されることは、本当は事前にわかっているのだ。

エニグマの解読達成を決して気づかれてはならないことは理解できるが、人の生死を選別するという、その負いきれぬ責任と重圧を思って、ゾッとした。

 

ちなみに

直接的にアラン・チューリングが描かれていたわけではないが、ドイツ軍の暗号エニグマを題材とした映画といえば、2001年のイギリス映画「エニグマ」を、かつて見ている。とはいえ今となっては、主人公が神経質な人物として描かれていたことと、ケイト・ウィンスレットが出演していたことくらいしか、印象に残っていないのであるが。

 

天才と呼ばれる人物を描いた映画を見ると、“あんな頭脳で人生を生き、ものごとを見るのは、いったいどんな感覚なのだろう” という、ただただ “どんなだろう” というのみの、想像し切れぬ想像がよぎる。歴史を動かすほどの、度を越した天才が描かれていると、誰もがそうなれるものではないとわかっているから、もしそういう頭脳をもって生まれていたら、などという想像は、そもそも初めからしないのであるが。なにしろ、めったに出現しないからこその天才である。天才の頭脳で見た世界の見えようがどういうものなのかということには、興味がわくけれど。

 

 

2015/03/18