「マイ・ファーザー」

MY FATHER, RUA ALGUEM 5555
2003 伊=ブラジル=ハンガリー
監督:エジディオ・エローニコ
出演:チャールトン・ヘストン  トマス・クレッチマン



「ヒトラー 最期の12日間」が公開されたばかりのこの夏、それほど間をおかずに公開された「マイ・ファーザー」は、ナチス政権下、収容所で人体実験を行った医師ヨゼフ・メンゲレに、息子のヘルマンが戦後 35歳にして初めて対面し、父への愛憎に苦しみ葛藤する様子を、ヘルマンの証言をもとに描いた作品である。


あの戦争のさなかに殺されていった罪のない人々の無念さが今も渦巻いているかのように思える収容所跡にヘルマンが立つシーンは、映画の冒頭、とても印象的に映し出される。


ヘルマンと父ヨゼフ・メンゲレのシーンでは、ヘルマンの心の動きに重点が置かれ、扱っている題材から考えると、全体的には意外なほど淡々と物語は進む。会う前にはかなり注意深く身構えていたヘルマンが、いざ父と顔を合せると、そこには“死の天使”と恐れられた過去とは一瞬では結びつかない、老いた男の姿があったが、この映画の抑えた雰囲気もまさにそういう感じだろうか。


しかし、ヘルマンが徐々に父の本質を目の当たりにして葛藤を深めるのと重なるかのように、観客もまた、ヘルマンが感じるどうしようもない苦しさが静かに迫ってくるのを感じる、そんな印象だ。


はじめは観察するような目線で父を見ていたヘルマン。それが、ふとした時に父が見せる、近所の子供にかまったりという、一見意外な姿や、時間が経っても人間は変らないということか、白人至上主義的考えを話す姿を見るうちに、冷静に観察できなくなる。


父を叔父だと教えられて育ち、“メンゲレ”の名前だけで敬遠された子供の頃や、戦後発覚した、父がいかなる行いをしたかという事実が、自らの内側から襲いかかってくる時、ヘルマンは自分を抑えられなくなる。


父の行った人体実験を書きたてた記事のスクラップを投げつけて言う、あんたのやった事は全部知ってる、これだけのことをして何とも思わないのか、今さら父親面するなと。


そして、父を殺してしまいたい衝動にかられる。それは父の罪の大きさに見合う罰を与えたかったからか、それとも “父親として” 生きてこなかった父を責める気持ちか。


父のもとから去ってすぐ、父を世話していた人物からその死を伝えられ、世間にも報道されるが、墓はあっても “完全な死” と証明できず、生存説すら流れる。


“逃亡中の戦犯” である父の居場所を明かそうとした時も、結局できなかったヘルマン。自分が父と初めて会った日々の証言をとらせた弁護士から 『私はあんたの側につくことはない、あんたたち一族は永遠にその罪を背負うのだ』 という言葉を投げかけられて、映画はラストシーンとなる。報道関係者とともにヘルマンを取り囲み、刻みつけられたその罪をまさに目の前につきつけ断罪するかのような、デモ参加者のユダヤ人女性の顔で。






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