京都の映画館のさいごの1日に。

その映画館に初めて行く日が、閉館の日であった。


1月29日。京都スカラ座、京都宝塚、京極東宝の3館が閉館するという。雑誌で見るまで閉館することは知らなかった。


行ったことのない映画館でも、やっぱり閉館は寂しい。さいごの2日間だけは名作と呼ばれる古い洋画・邦画を上映する。


テレビ画面でなく大きなスクリーンで見たいと思っていた「ベン・ハー」を見にいくことにした。京都スカラ座だ。70年の歴史があるらしい。


西暦26年、ユダヤの豪族ベン・ハーは、友人メッサラの裏切りにあって奴隷に身をやつすも、アリウス1世の命を救ったことにより養子としてむかえられ、その後生き別れた母と妹を探すため国へ戻る。そして、命をかけた戦車でのレースに勝利する。復讐を誓ったメッサラもそのレースで死に、母と妹に再会したベン・ハーは、今まさにイエス・キリストが十字架にかけられる瞬間に直面する。それが誰であるか知らずに、すでに2人は出会っていた。

間に休憩をはさんで4時間。あまりにも有名なこの大作、4時間という長さを“長い”と感じさせずに最後まで惹きつける大スペクタクル、ひとつひとつのシーンを飽きさせずじっくり見せる。


中盤、映画史に残るレースシーンの躍動と迫力を味わえるのはやはり映画館で見る醍醐味だ。


キリストの描き方も印象的だった。どのシーンでも顔を見せない。栗色の髪の後ろ姿や、十字架を背負い うつむく姿、遠目に顔の映るシーンでも映像を加工して顔に影がかかるようにしてある。
多くの人のイメージを崩さず描くのは難しいと判断されたのか、特別な存在であることを示す演出か、または敬意を払ってのことか。その描き方によって神秘性が表現され、美しかった。


ベン・ハー」は15:00で終わる。「ベン・ハー」だけのつもりだったが、夕方の、最後の上映も見ることにした。本屋をひとつはさんで隣の京都宝塚では「七人の侍」が最後の上映。が、チケットが売り切れてしまった。そのため、スカラ座さいごの上映の「街の灯」を見ることに。「街の灯」を見るのは2度目だ。


チャップリンが酩酊の紳士の邸宅でひと悶着、花売り娘のために必死になったり、いろんな騒動を起こすたびに客席から笑いが起こる。でもこれがこの映画館さいごの上映だと思うと、妙に寂しくなってくる。


多くの人がひとつのスクリーンで同じ映画を見て笑って、これこそ映画館で映画を見るということだと思いながら、チャップリンを見て、しかし今日閉館してしまう。「ベン・ハー」も「街の灯」も、終わると客席から拍手が起こった。


蛍の光が流れてくる。さいごの上映が終わっても、観客はそれぞれ名残り惜しそうだった。館内をカメラにおさめる人もいれば、壁に貼られた1950年代からの興行収入ランキングを熱心に読む人も。名札を付けているために係の人であることが判るスーツ姿の男性も、人がまばらになった客席を見ている。係の人たちが並んで、帰っていく観客にありがとうございましたと声をかける。多くの観客が立ち去り難いかのように館内にいるので、自分もしばらくその様子を見ていた。


そろそろ帰るか、と階段を降りていったら、建物の出口でも、両側に係の人たちが並んで、降りてくる観客それぞれにありがとうございましたと声をそろえて言う。映画館っぽくないといえば、そうともいえる光景。


映画ファンにとっては、たとえなじみのない映画館でもなくなるのは寂しいし、なじみのない映画館でこれだから、もし行きつけの映画館がなくなったらどれほどか。


1月29日、この映画館のスクリーンが最後の最後に映したのは、モノクロの、チャップリンの顔だった。






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