「博士の愛した数式」「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」
今年最初に見た日本映画である「博士の愛した数式」。
台詞に味わいがあって、出演者に味があって、たしかにいい映画だ。いい映画なのだが、なんだかいろんな作品を思い出す。
10分しか記憶のもたない男の復讐劇「メメント」、1日しか記憶のもたない女性に毎日告白を繰り返す「50回目のファースト・キス」。“大切なものは目に見えない”と語るくだりでは、映画ではないがサン=テグジュペリの『星の王子さま』を連想する。
古今の映画や小説で、そもそも“設定”というものは出尽くしているならば、“その設定であるかどうか” ではなく “その設定を使って何をどう描くか” が重要で、何も設定に他作品と通じるものがあるからダメなわけではない。
そんなことを言ったらある種の共通点だけで1つのジャンルに大別されてしまうアクション映画やホラー映画はどうなる、となってしまう。
ただ、「メメント」や「50回目のファースト・キス」をもし見ていなかったとしたら、「博士の愛した数式」は、雑念にとらわれずもっとじっくり腰を落ち着けて見られたような気はする。
ちょうど同時期に上映の「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」にも数学博士が出てくる。 アンソニー・ホプキンス演じる天才数学博士と、ジェイク・ギレンホール演じる若手学者。
ただ、数学がより美しいものとして描かれていたのは、「博士の愛した数式」だろうか。
小説が原作ということもあってか 数学の美しさを言葉で表現するシーンが多く、それが、本来理路整然としたものだと思っている数学を、やわらかく、なにか秘密めいた美しさをもったものだと感じさせる。
対して「プルーフ・オブ・マイ・ライフ」は、数学そのものよりは、博士の娘の、周囲に理解されず、溶け込めずにいることへのイラだちや、父への様々な思いと葛藤が中心だ。
映画としてあまり“動き”を感じないなぁと思っていたら、もとは舞台であるというのをちらっと読んで、なるほどと思った。
ジョン・マッデン監督作品だが、脚本の良さと時代設定、なによりシェイクスピアという題材そのものに助けられた感のある「恋におちたシェイクスピア」とくらべると、やはり地味か。
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