「8 1/2〈完全修復ニュープリント版〉」 “アサ ニシ マサ”!
8 E 1/2 / OTTO E MEZZO
1963 イタリア
監督:フェデリコ・フェリーニ
音楽:ニーノ・ロータ
出演:マルチェロ・マストロヤンニ
アヌーク・エーメ ほか
1963年 アカデミー賞外国語映画賞受賞
1963年 モスクワ映画祭グランプリ
映画館で上映されるのはなんと25年ぶりだという、フェデリコ・フェリーニ×マルチェロ・マストロヤンニの「8 1/2」。 とうとう!とうとう見ることができた。
いつかスクリーンで、と思い、DVDなどで見ないようにしている古い作品が何本かあるが、これもそのうちの1本だった。 ようやく。
冒頭近く、初めてマルチェロ・マストロヤンニの顔が映るシーン:温泉保養地の洗面所から、その保養地に集まった人々のシーンにかけてかかる 『ワルキューレの騎行』。この曲で思い出す映画といえば「地獄の黙示録」だったが、「8 1/2」が頭の中で上書きされる。
白い建物の駅舎に列車の入ってくるシーンは、ポール・デルヴォーの絵のようだ。モノクロが美しい。マルチェロ・マストロヤンニ演じる映画監督グイドの、子供時代の記憶も、白昼夢のように美しい。白い壁にゆらりと影が映る。きょうだいなのか、子供がたくさんいる。呪文だと言って教えられた不思議な言葉 ― “アサ ニシ マサ”(日本語みたいな響きだ)。あるいは、年のいった両親の出てくるイメージ。遺跡のような場所、シュルレアリスムの絵のような、人のいない不可思議な場所。あるいは、グイドの想像でもあり映画のアイディアでもある “ハーレム” ―ある種の夢かもしれないが、こんなに怖い世界もないだろう。
「フェリーニのローマ」を見た時にはついていけなかった混沌が、この映画では心地よい。
電話をかける姿を見ると、ドキュメンタリー「マルチェロ・マストロヤンニ 甘い追憶」で、映画の撮影の合間にも、いつも電話をかけていたというエピソードが語られたことを思い出す。
“ひらめきの危機” を恐れるグイド。
見る者を夢中にさせる、マルチェロ・マストロヤンニ。マストロヤンニは美しい。溜め息がでるほど素敵だ。大人の落ち着き、寛容さ、ユーモアを感じさせ、なおかつ柔らかさもある。その目もとに漂わす甘さ。それなりの数の映画を見てきているのだから、映画に出てくる素敵な俳優もそれなりの数を見ているだろうと思うのに、マルチェロ・マストロヤンニのあの粋な佇まいを見ていると、ほかの人のことが思い出せなくなりそうだ。見る者をこれほどまでに夢中にさせる俳優、人物は、そうそういるものではないだろう。
見ているうちに時間の経過がわからなくなる。
終わりなく追い立てられるグイド。映画づくりの場の異様な喧騒。
― “救い難い夢想家だ” ―
“さよなら諸君、次の作品で” と、映画は白紙になってしまうのに、突然、力が湧いてきたと言って撮り始めるグイド。
“人生は祭りだ!” まるでサーカスのようなラストの美しさ!
「8 1/2」を見た日、少し雨が降っていた。帰りは、雨さえ楽しかった。その日着ていたシャツにボールペンのインクが付いたことも、どうでもよくなった。
ただ、「8 1/2」を見られたことが嬉しかった。
08.10.22