「ベルトルッチの分身」

ベルナルド・ベルトルッチ 長編監督デビュー 50周年企画 〈ベルトルッチ 初期傑作選〉

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1968 イタリア

原作:フョードル・ドフトエフスキー 『分身』

監督・脚本:ベルナルド・ベルトルッチ

脚本:ジャンニ・アミーコ

音楽:エンニオ・モリコーネ

出演:ピエール・クレマンティ

    ティナ・オーモン

    ステファニア・サンドレッリ

    セルジョ・トファーノ

    ジュリオ・チェザーレ・カステッロ

ベルトルッチ監督長編第3作

 

オープニングの美しさ。

 

画面の色が、上下に分かれる。上が赤、下が青(こういう色の使い方は、ある種ゴダール作品を彷彿とさせる)。それぞれがまったく違う曲調の音楽が、数秒ずつ流れる(これもひどくヌーヴェル・ヴァーグ的だ)。数秒ずつを4~5回繰り返し、最後に、画面の真ん中に五芒星の形、白い星が現れる。

 

60年代映画の美しさにひきつけられる(赤と青に白い星は、劇中に、VIETNAM LIBERO! “ベトナムに自由を”  のポスターとして登場する)。

 

先日、あらためて見直す機会のあった、同監督の「暗殺の森」(1970)と制作時期が近いせいか(両作品にステファニア・サンドレッリが出演しているということもあるし)、ストーリーや演出は、これほどまでにまったくタイプが違うにも関わらず、なぜか「暗殺の森」を思い起こさせる。

 

「暗殺の森」でも思ったことであるが。ベルトルッチ監督作品では、なぜこうも、建造物の美しさが際立つのだろうか。無機質なはずのもの、確かに無機質なもののはずだったのに、なぜこうも、影が、空間が美しいのか。多くの場合は、〈背景〉であるはずの、建造物そのものや室内。そこに落ちる影すら美しい。

 

後半は、前半以上に、よりヌーヴェル・ヴァーグ的様相を呈す。奇妙さが加速する。そのあたりは、ゴダールに心酔していたというベルトルッチが、いかにヌーヴェル・ヴァーグに傾倒していたかがわかる。唐突さも、若々しさも、言葉も、色も。

 

主人公と、まるっきりそっくりな男、あるいは同じ人間の別人格。主演のピエール・クレマンティは、かつて、ルイス・ブニュエル監督作「昼顔」(1967)で見たことがあった。

 

 

2013/5/1