「5時から7時までのクレオ」 二度とないかもしれない再会
特集上映〈都市の映画、パリの映画史〉の1本
Cléo de 5 à 7
1961 フランス=イタリア
監督:アニエス・ヴァルダ
音楽・出演:ミシェル・ルグラン
出演:コリンヌ・マルシャン
アントワーヌ・ブルセイエ
ドミニク・ダヴレー
この作品を見るのは、何年ぶりだろうか。冒頭。タロット占い師の手元と、タロットカード、そして、主人公クレオの手。それらを真上から映したシーンだけがカラーで、それ以外のシーンはすべてモノクロ。しかし、部分だけとはいえ、カラーのシーンがあったことは、すっかり忘れていた。
向かい合わせの鏡に、“何人もの” クレオが映る。そんな時、ああ、ヌーヴェル・ヴァーグ!、と思うのだ。なにも、鏡が登場する映画はヌーヴェル・ヴァーグの作品だけではないであろう。しかし、ヴァルダのこの作品もヌーヴェル・ヴァーグの作品の1本だし、鏡で思い出すのは、「大人は判ってくれない」 の三面鏡だ。
パリの街を移動する。夏至の日、火曜日(「火曜日は服でもなんでも新調してはだめ!」/これを見た日がちょうど火曜日であった)。こんなにも美しい映画だったのだ、ということを、何年もを経て、ふたたび認識する。クレオたちを捉えながら移動する、そのカメラの視点。その視点そのものが、いとおしいもののように突然思えてきて、泣けてくる。
クレオがモンスリ公園で出会う男性は、あのアルジェリア戦争で戦地に派兵されている兵士であり、休暇でパリへ。今夜戦地に戻ると言う。医師から診断結果を聞かされることの恐怖に慄いていたクレオは、“(放射線治療はつらいが)必ず治る” と言われながらも、癌の告知を受けたわけだが、結果を聞いて、むしろ落ち着きを取り戻し、“今夜発つのが残念だ、そばにいたい” と言う男性に、“そばにいるわ” と答えるのである。
かつて見たときは、まるで、目の前の霧が一瞬にして晴れたかのように自分を取り戻すクレオだけが、印象として残っていた。どっちつかずで不安な状態でいるよりも、たとえ望まない結果であっても、事実がはっきりするほうがいい、というような。しかし、今回見てみると、それだけではなく、ラストシーンのクレオは、恐れていた死を受け入れたかのようにも見て取れる。医師からは治ると言われているのだが、しかし、そんなふうに見えたのだ。戦地へ戻ってしまう男性に対して “そばにいる” と言ったことが、死の暗示と思えたのか。なにしろ、この男性とて、ひとたび戦地へ赴けば、もう二度と帰ってこないかもしれないのだ。
かつて見た時よりも、より強く、死への意識を感じる。そうだ、映画を、年を経てふたたび見るとはこういうことだ。見る側であるこちらの視点も変化している。
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劇中でクレオたちが見る短編映画の中の登場人物は、ジャン=リュック・ゴダール、アンナ・カリーナらがカメオ出演して演じている(なおかつ、劇中映画の女性の名は “アンナ”。ゴダールの現実でのパートナーが偶然にも “アンナ” “アンヌ” という名の女性ばかりであることは、有名な話である)。
クレオの友人でもある音楽家ボブを演じているのは、この映画の音楽も担当し、「シェルブールの雨傘」(1963)、「ロシュフォールの恋人たち」(1967)など数々の映画音楽で知られるミシェル・ルグラン(もともとルグランの顔を知らなかったということもあるし、若い頃はなんだかゴダールに似ているため、昔この映画を見たときは、ボブを演じているのもゴダールかと思っていた)。
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それにしても、過去に見た映画を、こうしてふたたび映画館で見る機会というのは、貴重なものだ。いったい、あと何度こんな機会が得られるかわからない。もう、二度とないかもしれないのだ。
2013/5/21