梅田ガーデンシネマ、閉館
昨年末に発表されたばかりで、かなり突然のことであったが。 大阪市内にある梅田ガーデンシネマが、今日2月28日、閉館する。
とはいえ、映画館そのものがなくなるわけではない。これまで梅田ガーデンシネマであった映画館は、その下の階にあるシネ・リーブル梅田が増床するという形をとって、シネ・リーブル梅田として、そのまま存続する(つまり、経営元が変わるのみ)。大阪市内のスクリーン数に、変動はない。
とはいっても、だ。 ガーデンシネマで、ずいぶんたくさんの映画を見てきた。映画館そのものはなくならないとはいっても、“これまで数々の映画を見てきたガーデンシネマ” はなくなる、と思うと、やはり、どことなく さみしい(長いこと映画を見ていると、行ったことのある映画館の閉館はこれまでにも何度かあったが、その中でも、今回のガーデンシネマが、もっとも長きに渡って、もっとも多く訪れた映画館だった)。
閉館間近にガーデンシネマへ行くと、館内に、過去に上映された数々の作品のチラシが貼ってある。それを見て、ああ、あれも見た、これも見た、と、いろいろ懐かしい。
ほかにもたくさん見ているのに、ガーデンシネマといって いちばんによみがえる記憶は、「モーターサイクル・ダイアリーズ」を見た時のことだ。
あの頃は、よく、立ち見が出るほどの満席になっていた。何度か、通路に座って見たり、いちばん後ろに立って見たりした。「モーターサイクル・ダイアリーズ」を見た時も立ち見で、公開後しばらく経っていたのに、ギリギリの時間に行くと、そうやって立ち見になってしまうほど、盛況だったと記憶している。
まだ、革命家になる以前の、若き日のチェ・ゲバラが、友人とともに、バイクで南米一周し、革命を志すようになるまでの、実話をもとにした映画だ。その中で、夜の川でのシーンがある(どのようなシーンかを細かく書くと、どうしても長くなってしまい、今回の文章の主旨とは外れてしまうので、ここには書かないが)。夜の闇の中、熱帯の湿った空気がまとわりついてきそうな生々しさの感じられる映像だった。その映像を、映画館の暗闇の中で見た時の感覚が、なぜか今でも、強く印象に残っている。その時味わった感覚そのものが、ただ、映画を見た、というだけではなく、“映画館での体験” として、自分の中で、強く印象づけられている。
ほかにも、ずいぶんとたくさんの映画を見た。「ゴーストワールド」、「がんばれ、リアム」、「アメリカン・サイコ」、「王は踊る」、「フェリックスとローラ」、「マルホランド・ドライブ」、「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」……とにかくたくさん見てきて、とてもじゃないが書ききれない(これでも ごく一部である、まさに、枚挙に暇がない)。
最後に見に行ったのは、閉館2日前。 ガーデンシネマとしての最後の公開作品、「旅人は夢を奏でる」。
シネ・リーブル梅田になっても、これまでと変わらず、たくさんの映画を見に行くだろうと思うけれど。 梅田ガーデンシネマは、今日でなくなる。
2014/2/28
俳優 フィリップ・シーモア・ホフマン
2月2日、フィリップ・シーモア・ホフマンが亡くなった。薬物の過剰摂取が原因ではないかとされている。46歳だった。
薬物のことであるとか(本人が、かつてインタビュー等で触れたことがあるという)、私生活に関することは、ほとんど知らなかった。ただ、フィリップ・シーモア・ホフマンの出演作に関しては、すべてとはいかないが、とにかくたくさん見ている。
「パッチ・アダムス」では、たしか、主人公と対立する役であったか。だいぶあとになって、レンタルで見た「セント・オブ・ウーマン/夢の香り」にも出演していた。このほか、レンタルやテレビでしか見たことのない「ツイスター」「ビッグ・リボウスキ」、そして「マグノリア」。「あの頃ペニー・レインと」からあとの出演作は、劇場未公開作を含む数本以外、そのほとんどを映画館に見に行った。
この人が出ているなら見たい、と思わせる俳優だった。主演、助演、実在の人物、複雑な内面を持つ人物、悪役、静と動、なんでもできた。「カポーティ」でトルーマン・カポーティを演じ、「脳内ニューヨーク」で頭の中の迷路を彷徨うような男を演じ、「ザ・マスター」で大衆の心を操るような男を演じた。
いつも、この人が出ているなら見たい、と思わせる俳優だったのだ。フィリップ・シーモア・ホフマンの演技を見たかった。その映画を見に行く “決め手” となる俳優だった。
2014/2/5
1月11日から始まる特集上映~〈「エレニの帰郷」公開記念 アンゲロプロス監督回顧上映〉 および 〈ポーランド映画祭 2014〉
〈「エレニの帰郷」公開記念 アンゲロプロス監督回顧上映〉
2012年1月に亡くなったテオ・アンゲロプロス監督最後の作品「エレニの帰郷」公開(→http://antoine.hatenablog.com/entry/2013/12/08/004115)にさきがけ、それ以前の10作品が回顧上映される。
回顧上映は、東京の新宿バルト9(1/14~1/24)、大阪の梅田ブルク7(1/11~1/24)の2館のみ。それも、1日1回のみの上映、時間も朝9時半からと、非常に限られた上映であるため、全部を見るのはまず無理、というところが残念(まだ見ていない作品を中心に見に行きたかったが、未見のものに限って、都合の悪い曜日の上映しかなく、見に行くことが出来ない)。
〈回顧上映 上映作品〉
「旅芸人の記録」(1975)
「狩人」(1977)
「アレクサンダー大王」(1980)
「シテール島への船出」(1984)
「蜂の旅人」(1986)
「霧の中の風景」(1988)
「こうのとり、たちずさんで」(1991)
「ユリシーズの瞳」(1995)
「永遠と一日」(1998)
「エレニの旅」(2004)
アンゲロプロス監督最後の作品「エレニの帰郷」は、今月25日より、全国5館で上映。
〈ポーランド映画祭 2014〉
2012年末の特集上映〈ポーランド映画祭 2012〉に続き、〈ポーランド映画祭 2014〉が上映される。
ここ大阪では、シネ・ヌーヴォにて1月11日より上映が始まるが、いかんせん、作品の本数に対して上映期間が短すぎる(21作品を1週間で上映)。
http://www.cinenouveau.com/sakuhin/poland/poland.html
2014年に最新作「ワレサ」が公開されるのに合わせ、アンジェイ・ワイダ監督作品をメインで上映、とのことで、〈ポーランド映画祭 2012〉 の際に上映された代表作2本(「地下水道」「灰とダイヤモンド」)に加え、今回は1968~1990年のワイダ監督作品が5本、上映されるというのに、なにしろ、21作品を1週間で上映するため、どの作品も期間中1回きりしか上映されない。なぜこのような日程になってしまったかの詳しい経緯は知らないが、もう少し余裕のある日程なら、なおよかったのであるが。
2014/1/10
2013年の映画10本
2. ホーリー・モーターズ
5. 最初の人間
Le Premier Homme
2011 フランス=イタリア=アルジェリア
6. ムーンライズ・キングダム
映画と2013年
今年公開された(今年見た)映画の中で、特に印象的だった作品10本
上記10本のほか、リドリー・スコット監督 「悪の法則」、ベルナルド・ベルトルッチ監督 「孤独な天使たち」、ケン・ローチ監督 「天使の分け前」、ラッセ・ハルストレム監督 「ヒプノティスト-催眠-」、ウディ・アレン監督 「ローマでアモーレ」など、とうの昔に名監督と呼ばれるようになったベテラン監督らの作品に、相変わらずすごい、さすがだ、と思うものが何本もあった。
ドキュメンタリー映画で特に印象的だったのは、「リヴ&イングマール ある愛の風景」 「ロマン・ポランスキー 初めての告白」 「マリリン・モンロー 瞳の中の秘密」 など。
日頃見ることが少ない日本映画を、今年は何本か多めに見たが、特に印象に残ったといえば、小林政広監督「日本の悲劇」、園子温監督「地獄でなぜ悪い」などか。
今年初公開の新作ではなく、過去の作品で、今年になって初めて見る機会のあった作品では、小津安二郎監督「晩春」、イングマール・ベルイマン監督「秋のソナタ」などが、ある種の衝撃を受けるほどに卓越した、まさに名画だった。
すでに見たことのある作品をふたたび見て、やはり素晴らしい、と思うことも、とても多く。今年は、これまで映画館で見る機会のなかった「炎のランナー」を、(デジタル上映とはいえ)スクリーンで見ることができたのが感慨深い。
そして、今年も(デジタル上映とはいえ)見ることのできた、自分にとって特別な1本、「アラビアのロレンス」。
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今年に限ったことではないが、映画人の訃報を聞くのは、やはり悲しいものである。2013年も、三國連太郎や、ポール・ウォーカー、ピーター・オトゥールらの訃報があり、やはり、聞くたび、悲しくなるのだった。
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今年はかなりの本数を見た。かなり見たゆえに記録しきれなかったものも多いので、(年をまたぐことになってしまうが)また、それらの記録を残しておくことができれば、と思う。
2013年12月31日
俳優 ピーター・オトゥール
「アラビアのロレンス」(1962)を初めて見たのは、7年前の10月、建て替えられた映画館の、開館記念上映であった。
映画とは、ただ1本の優れた作品と、それに劣る作品群とが在るわけではない。ただ1本、それのみが、自分にとって唯一絶対の映画である、などとは、多くを知れば知るほど、なかなか言えないものである。
素晴らしい映画は、数多く存在する。しかし、それでいてなお、「アラビアのロレンス」が、ほかの何にも代え難いほど傑出した映画であることもまた、事実である。
12月16日、ニュースで、ピーター・オトゥールの死を知った。現地時間の12月14日のことだったという。昨年には、俳優業からの引退を表明している。ピーター・オトゥールといえば、俳優としての功績を讃えられる際には、必ずといっていいほど、米アカデミー賞との相性の悪さが取り沙汰される。稀に見る名優であることは、映画を見ればわかる。しかし、これまで8度、主演男優賞にノミネートされながら、「アラビアのロレンス」においてですら、受賞することはなかった(2003年に、演技部門ではなく、名誉賞を受賞している)。
とはいえ、そんなことは、取るに足らないことのようにも思える。なにしろ、ピーター・オトゥールが、例えようもないほどの名演を見せる俳優であることは、映画を見ればわかる。映画の中に刻まれた演技こそが、その才能を、真の名優であることを、証明している。
数々の名演を残したピーター・オトゥールだが、その出演作の中でも、「アラビアのロレンス」は、自分の映画鑑賞歴において、特別な位置を占める映画のひとつである。 今年10月にも見たばかりだ(今ではもはやデジタル上映となってしまい、ああ、フィルムで見たかった、と思いながら)。7年前の10月に初めて見て以来、〈大阪ヨーロッパ映画祭〉での上映(この映画祭では、毎年新しく名誉委員長が迎えられるが、その年は、かつて「アラビアのロレンス」の音楽を担当した作曲家、故モーリス・ジャールであった)も含め、必ずスクリーンで、これまで10回ほど見ているが、ついぞ、飽きるということを知らない。何度見ても、感嘆し、胸打たれる。何度見ても、何度見ても。
思い出される。ピーター・オトゥールが演じたT.E.ロレンス。駱駝に乗り、砂漠を駆ける姿。命懸けの行為により仲間であると認められ、アラブの首長の装束を贈られたシーンでの、喜びを表す、そのさま。戦場での、狂気を滲ませたロレンスを演じる、その眼。特異な魅力で惹きつけ、人を虜にする人物像を、映画の中に作り上げた。自分もまた、「アラビアのロレンス」という映画の虜となったひとりである。二度と作ることの出来ない映画だ。再現も、超えることも出来ない。50年経った現在の技術をもってしても、この映画を超えることは出来ないだろう。大規模な撮影が行われた作品だから、という意味だけで言っているのではない。そして、この映画がそれほどまでの作品となり得た一翼を担った人物こそが、まさに、俳優ピーター・オトゥールであった。
類稀なる、名優中の名優。不世出の大俳優だった。
2013年12月17日
テオ・アンゲロプロス監督 最後の映画、公開へ
2012年1月24日、交通事故により亡くなったテオ・アンゲロプロス監督の最後の作品が、2014年1月25日(この日に公開となったのは、監督の命日に合わせてのことなのだという)、ようやく日本でも公開される。
亡くなった時は、20世紀3部作の最終作、“THE OTHER SEA ” の撮影途中だった。つまり未完である。遺作となったのは、そのひとつ前の作品、20世紀3部作の第2作、「エレニの帰郷」。2009年に発表されたこの作品が、4年越しで、日本の映画館のスクリーンにかかる。
監督没後、追悼上映として、過去の作品が何本か上映されたりしたが、“新作” が公開されるのは、長編作品としては、20世紀3部作の第1作「エレニの旅」 が公開された2005年以来。カンヌ国際映画祭60回記念製作で34組の監督が参加したオムニバス映画〈それぞれのシネマ〉における、3分間の短編(参加したすべての監督の作品が、3分間ずつと決まっていた企画である)を合わせても、2008年以来の新作である。
そして、この「エレニの帰郷」公開が、“テオ・アンゲロプロス 最後の新作公開” である。
2013/12月
俳優 ポール・ウォーカー
「ワイルド・スピード」シリーズで知られるポール・ウォーカーの訃報をつい先程知り、とても驚いている。現地11月30日、カリフォルニア州サンタクラリタで、友人の運転する車に同乗中の交通事故により、車は炎上、現場で2人の死亡が確認された、と発表されているという。40歳だった。
ポール・ウォーカーの出演作でもっとも知られている、「ワイルド・スピード」シリーズ。今年の夏、シリーズ6作目が公開され(ウォーカーは3作目以外の5本に出演)、7作目の製作も始まっている。その7作目にも、ウォーカーは主演、撮影途中だった(現時点では、製作そのものが中止されてはいないが、撮影スケジュールは、当然のことながら延期となったとのことである)。
「ワイルド・スピード」の1作目は、たしか、映画館に見に行ったのだったろうか(その後、今年公開の6作目までは見に行っていなかったのであるが)。それ以上に、1作目と近い時期の作品、「ロードキラー」のほうが、むしろ印象に残っている。公開当時、もともとは見るつもりではなかった。「激突!」のリメイク的内容であるが、時間が空いて、ただなんとなくで見に行ったら、思いのほか面白く、自分にとって、ポール・ウォーカーといえば、長らく、“「ワイルド・スピード」の主演俳優” というより、“「ロードキラー」の主演俳優” であった。
カーアクションで当たり役を得た。あの「激突!」のリメイク的内容である「ロードキラー」でも、当然、車のシーンが重要だった。ヒットした(している)大作シリーズを背負った主演俳優が、まさか、その製作途中でこのようなことになろうとは。公開時、映画館でリアルタイムにその作品を見てきた俳優(や映画人)の訃報に接すると、大きな驚きを伴って、なんとも言えぬ悲しい気分がもたらされる。
2013/12/3
「ポルトガル、ここに誕生す ギマランイス歴史地区」
〈オムニバス〉
Centro Histórico
Historic Centre
2012 ポルトガル
監督・脚本:アキ・カウリスマキ
“ポルトガル発祥の地” と称されるギマランイスをテーマに(あえて、ギマランイスから離れて進行するストーリーもあり)、アキ・カウリスマキ、ペドロ・コスタ、ビクトル・エリセ、マノエル・ド・オリヴェイラ、4人の監督による、4話からなるオムニバス。
無表情な人物の多いカウリスマキ作品、この主人公もそう。青い壁が美しい。夜の影が映った壁、夜の街が美しい。ラジオから聞こえるサッカー中継、誰かを待つけれど来ない、店にも客は来ない。
ヴェントゥーラ、亡霊との会話… (わけがわからない)
3.(ヴィクトル・エリセ監督)
77歳の女性の言葉 “幸せとは何か、いまだにわからない 喜びならわかる でも幸せはいまだにわからない”
4.征服者、征服さる(マノエル・ド・オリヴェイラ監督)
ギマランイス地区をバスでめぐるツアー。初代ポルトガル王が誕生した地。“撮影をやめない観光客により、征服者が征服されました”
■
好きなのは、アキ・カウリスマキとマノエル・ド・オリヴェイラの作品。マノエル・ド・オリヴェイラの不思議さには惹かれるのにペドロ・コスタは受け入れることができない、これも相性か。とにかく、コスタ作品がどうしてもわからない。
2013/10/01
「愛に関する短いフィルム」Krótki film o miłości (1988)
ポーランドのクシシュトフ・キェシロフスキ監督(1941-1996)の作品に、〈デカローグ〉というテレビシリーズがある。十戒をモチーフとした十話からなる作品で、そのうちの二話、「愛に関する短いフィルム」 「殺人に関する短いフィルム」 は、テレビシリーズとは別に、長編映画として再構成されている。
かつて、このテレビシリーズ〈デカローグ〉の全話が、深夜、関西ローカルの地上波で、何週かに分けて放映されたことがあった。さすがに全話は見られず見逃した回もあるが、その時、上に書いた二話は偶然にも見、のちに、同監督の特集上映の際、映画版も見た(テレビシリーズ・映画版ともに、見たのは監督の没後)。
見たのはもうずいぶん前のことであるが、しかし、印象深いのは、「愛に関する短いフィルム」のラストだ。テレビシリーズと映画版とでは、ラストを変えてある。
集合住宅に住む青年が、向かいの棟に住む年上の女性に、思いを寄せている。毎日、窓から望遠鏡でその様子を見ている。のちにふたりは、見る/見られる だけの関係性を越え、実際に顔を合わせることとなるが、女性のほうは、青年の気持ちを知ってもそっけない。そのうち女性は、自分が見られていたことを知る。思いを実らせることのできなかった青年は、手首を切って自殺を図る。そのことにうろたえる女性。一命を取り留めた青年に、後日、女性が会いに行くと、「もう愛していない」、と言われ、それを聞いて言葉を失った女性の顔で、作品は幕を閉じる。
もう何年も見る機会がないが、だいたい、このような流れであったと思う。上に書いたラストシーンは、テレビシリーズのものである(はず)。映画版のラストでは、自殺を図り、病院に担ぎ込まれ意識がまだ戻らない青年のもとに、女性が駆けつけ、それほどまでに自分に思いを寄せていたこの青年の枕元で涙を流す、というものであった(はず)。
テレビ版を初めて見た時には、青年の心変わりが、至極唐突なものに思えて、劇中の女性の心情と同じく、まるで取り残されるような感覚を味わうラストシーンだと思えた。映画版も見、両方のラストを知ってからは、いったいどちらが、監督自身の考えに、より基づいたものだったのか、とか、近いものだったのか、などということが、その当時は気になった。
しかし、その後、別の見方をするようになった。別の見方になったのは、ある意味自然な流れといえるであろう映画版のラストではなく、おもに、テレビ版のラストに関してである。
青年が、ずいぶんと唐突な心変わりをしたように見えるのはなぜか? つまりそれは、この女性の視点から見ているからだ。青年に対してそっけなくしていたこの女性は、青年の心の動きにまでは気づかない。しかし、この青年の側から見てみるとどうか。どれほど思いを寄せようとも、受け入れられることはない。その苦しみに耐えられない。その苦しみから逃れる場所がない。逃れる場所がなくて、すべてを捨てようと決心したその時、心のうちを占めていたものは、どうしようもない絶望ではなかったか。他人から見れば、たかが色恋でそこまで、と思うのかもしれない。しかしそういうものは、その気持ちに陥っている当人にとっては、寝ても覚めても頭を離れないほどに、とらえられて、逃れられないものであろう。
つまり、一命を取り留めた青年に、女性が会った時には、もはや、青年の心は、その絶望を味わい尽くしたあとだ。苦しみ抜いたあとだ。すべてを投げうったあとだ。恋い焦がれる気持ちが、絶望に覆い尽くされたあとだ。そして、「もう愛していない」、という台詞。絶望し尽くしたあとの本心なのかもしれない。しかし、本当はまだ気持ちが残っているのに、この女性を前にしたら、もうそれしか言えなかったのかもしれない。
ところが、青年の心の動きについぞ気づくことのなかったこの女性は、“唐突な心変わり” だと感じて戸惑う。本当は、唐突ではなかったかもしれないのに。その言葉は本心ではないかもしれないのに。
昔、このラストを見た時、取り残された感覚を味わった自分は、つまりは女性側の視点に立って見ていたということだ。主人公の気持ちに、それだけ自然に観客の気持ちを沿わすことに成功した、監督の演出術の巧みさとも言える。見事なのは、主人公側の視点に自然と立ってしまうような作りでありながら、相手側の心の動きを、そうやって、形にしていたことだ。主人公側に立って見ていた観客なら、主人公と同じように、唐突であると感じるだろう。しかし、ひとたび相手側に立てば、たとえその心の動きが事細かに描かれていなくとも、その動きの “痕跡” が見える。
監督は、そうやって、人の心の動きを、形としてとらえていた。虚しく絶望した心の動きをとらえていた。クシシュトフ・キェシロフスキとは、そういう映画監督だった。自分はあの時、このような心の動きについて考えられなかった。しかし今は、この青年の気持ちをこそ、思う。
2013/9/24