「12人の怒れる男」 ダイナミックな密室劇。
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2007 ロシア
監督:ニキータ・ミハルコフ
出演:セルゲイ・マコヴェツキイ
ニキータ・ミハルコフ
セルゲイ・ガルマッシュ ほか
2008年 第80回アカデミー賞外国語映画賞ノミネート
シドニー・ルメット監督の1957年の同名映画のリメイク、ロシアのニキータ・ミハルコフ監督による「12人の怒れる男」。舞台を現代ロシアに移し、被告の少年は紛争地チェチェンの出身という設定だ。ミハルコフ監督自身も出演している。
誰もが有罪間違いなしだと思っていた、チェチェン人少年の養父殺し。評決は、12人の陪審員全員の意見が一致することが条件だが、わかりきった結論、すぐに協議は終わるとみんなが思っていた。そんな中、1人の陪審員が少年を有罪とすることに疑問を呈したことから、それぞれの陪審員の過去や人生のエピソードも語られつつ、いつ終わるとも知れないほどに議論は白熱してゆく。
冒頭、紛争地チェチェンの、戦闘後の惨状が映し出されてハッとする。土砂降りの雨の中、無惨な光景が広がる。この映画で今回、被告の少年がチェチェンの出身という設定になったことには非常に大きな意味がある。
それらしい証拠や証言が揃っていたことによって、無実なわけがない、どうせ殺したに決まってる、と誰もが思っている。はじめは、それこそ無実の可能性すら探ろうとしない、考えてみるということをしない。1人の陪審員の疑問によってようやく議論が始まっても、強硬に少年の有罪を主張する陪審員は、出身や生い立ちから少年を色眼鏡で見て判断し、頭から決めつける。
これらは、なにも裁判の場に限ったことではない。このような状況に置かれれば、誰もが簡単に陥ってしまう、とても危うい状態だ。おもてに見えていることだけに気をとられ、判断を誤る。
2時間40分にも及ぶ本作、基本的にひとつの部屋の中で展開されるストーリーなだけに、かなりの長丁場と覚悟して見に行った。だが、少年の幼少時から事件前までの情景や、陪審員の人生を渾身の演技で語る場面などが挟み込まれることによって、映画に緩急が生まれ、密室劇とは言ってもじゅうぶんにメリハリがあって、時間の長さを意識させない。
なおかつ、次々浮かび上がってくる少年の無実の可能性や、様々な角度から検証したその理由、そして、それぞれの言動から窺える陪審員個々の性格を裏付けて“なるほど”と思わせるようなエピソードが語られる様に、見事に引き込まれ、飽きることがない。その展開に目を奪われて、固唾をのんで見守るような心持になる。
陪審員それぞれの職業や置かれた状況も語られるわけだが、監督自らが演じる陪審員は、芸術家であり、なおかつ、元将校である。少年の養父もロシア人将校であった。ラスト、少年の人生を案じてこの陪審員が語ることには、この陪審員自身の将校という経歴も大きく関係していると思わせるが、一体どんなことがあったのかまでは敢えて描かれず、それがまた興味を募らせもする。
最後の最後に、陪審員全員の意見一致となる瞬間、もし元将校である彼の言葉通りになっていれば、さすがに余りにも でき過ぎの美談になってしまい、一気に興をそがれたことだろう。そうならなかったことにかえってリアリティがある。
少年が、まだもっと幼かったころ。気さくに話しかけてくれたチェチェンの兵士からナイフをもらい、彼らの楽器の演奏に合わせて、古くからの民族舞踊だろうか、ナイフを持って踊りを披露する。褒められて嬉しそうな少年。しかしそんな時間も束の間、少年の人生は紛争に翻弄され続ける。家も家族もかわいがっていた犬も、すべて失う。そんな自分をひきとってくれた養父を殺したという容疑。
陪審員たちの協議が白熱する中、自らの“罪と罰”が決するのを待つ少年が、寒々しい拘置所で、かつての、幼いころの あの時の あの踊りをひとり踊る姿に胸打たれる。何を思い出しながら踊っているのだろう、と想像する時、しめつけられるような思いがする。
密室劇でありながら、ダイナミック、重厚で、力強く、最初から最後まで見る者をひきつけてやまない作品だった。見終わってしまえばそれで終わり、とはならない、見る者がふと足をとめて考える、見る者を立ち止まらせる映画だ。B.トーシャという人の言葉だという、『法は強くて揺るぎないが、慈悲の力は法をはるかに凌ぐ』 という言葉が、最後に映し出される。
08.10.29