「第七の封印」 “小羊が第七の封印を解いた時 およそ半時間のあいだ 天に静けさがあった”
イングマール・ベルイマン監督 生誕95周年
特集上映〈イングマール・ベルイマン 3大傑作選〉の1本
〈デジタルリマスター版〉
Det sjunde inseglet
The Seventh Seal
1956 スウェーデン
監督・脚本:イングマール・ベルイマン
出演:マックス・フォン・シドー
グンナール・ビョルンストランド
ベングト・エケロート
ニルス・ポッペ
ビビ・アンデショーン
グンネル・リンドブロム
第10回カンヌ国際映画祭 審査員特別賞 受賞
【タイトル「第七の封印」は新約聖書のヨハネの黙示録よりとられている】
ベルイマン監督が亡くなった当時、その前後に、一度見ている。ふたたび機会がめぐってきた。もう一度、スクリーンで見ておきたかった。
無音で始まる。そして音楽。モノクロ、雲に覆われた空、一羽の猛禽が風に乗っている。海辺に、騎士の姿、チェス盤。眠りこける従者。二頭の馬。
騎士の目の前に、“死” が姿を現す。「お前は?」「死だ」「私を迎えに?」「ずっと隣にいた」「知っている」
ペストが蔓延する中世ヨーロッパが舞台である。十字軍での、10年に及ぶ遠征から帰途についた騎士。ペストにより多くの者が死に、時代の翳りが人々の上に重く垂れこめる。そんな時に現れた死神。騎士アントーニウス・ブロックは、死神に、チェスの勝負を挑む。私が勝てば解放しろ、と。
ベルイマン監督は、この映画でも、神の沈黙を嘆き問いかける人間の姿を描いている。騎士を演じているマックス・フォン・シドーの、思慮深き表情、終末を見据えるような眼が、騎士の抱える虚無感を、言葉のかわりに語る。悪意なき人物である旅芸人にだけ、ほかの人間には見えない幻がたびたび見え、騎士と死神がチェスをする姿も見える(そして、旅芸人一家だけが死を回避する)。十字軍として遠征することを騎士にけしかけ、結果として騎士と従者とに苦難の10年を強いた神学者は、もはや学者としては見る影もなく、従者から復讐を受けるという因果。世界が終わると嘆く、今で言うカルト団体のような人々。登場人物の描写にも、意味なきものはなく、示唆に富んでいる。
この映画に登場する死神の姿は、のちの多くの映画に影響を与えたといわれる。旅芸人だけが目にした、“死の舞踊” と呼ばれるシーンも(死に囚われた人々が、死神に手を取られ、連れ去られてゆく)。
騎士が語る言葉、つまり、監督が語らせたその言葉の数々。人生について、「暗闇で答えぬ者を愛するようなもの」と言い、これまでのことを後悔しているのかと訊かれ、「後悔はしていない、ただ疲れた」。一瞬の平穏な時、死を前にした、一瞬の静けさの時、「この手に記憶をとどめよう」と語る。
また、教会のシーンでは、騎士はこう語る。「なぜ神は五感で感じられぬのか なぜ曖昧な約束や奇跡にお隠れになる なぜ私は神にとらわれるのだ 捨ててしまえれば楽なのに なぜ私の心に居座り続ける」 と。求めるものは、手にしたい救いとは、いつも、自分の手の中にはないものである。にも関わらず、この台詞の通り、実体のないまま心の中を占め、とらえて離さず、苦悩を与え続ける。
2013/8/21